2006-10-01から1ヶ月間の記事一覧

かつら

バンカラのバッハ 昨日の「かつらをとったバッハ(想像)」を見ているうちに、ムラムラといたずら書きしたくなってきて、描いた。 立派な人を引きずり下ろしてヨロコぶ、という卑しい人間ならではの行為である。 もはや、いつの時代の誰だかもわからなくなっ…

バッハの子供達

昨日に引き続き、バッハについて書くが、たぶん、音楽の内側とは関係ない話になるはずだ。 バッハには、20人もの子供がいたそうで、いくら何でも作りすぎではないか、と思う。 もっとも、歴史上の有名人物にはもっと子供を作った人がいて、例えば、江戸幕府…

バッハッハッハッハ

もちろん、バッハ自身は何も悪くない。 が、あの肖像画もいけないと思うのである。 「バッハ」の肖像として知られている絵はこういうものだろう。 近寄りがたい雰囲気を漂わせている。エラソーである。 あの白いかつらがいかんと思うのである。かつらは昔の…

鼻持ちならなさ

例えば、Amazonの「J.S.バッハ・カタログ」のページに、こんな感想を書いた人がいる。 「もしバッハの音楽がなかったとしたら…」という質問を想定してみましょう。その答えは、「クラシック音楽のみならず、すべての音楽が無に帰してしまうのでは…」という恐…

つまらぬ意地

今日は「おれ」を主語にして書く。 ここのところ、バッハをよく聴いている。 最初は、「J.S.バッハ・カタログ」(ASIN:B00005FIRR)というCDを他と間違って買ったことから始まった。 買ってしまったんだから、ま、一応、聴いてみっか、とかけてみたら(CDも…

衣装は成り上がる

逆に時代を経るにつれ、位置が高くなっていくのが衣装である。 狩衣は何せ「狩り」の「衣」だから、最初はあまり大した服とは見られていなかったのだろう。それがだんだんとあらたまった服装になっていった。武家にとっては礼服である。 直垂(ひたたれ)は…

二人称は落ちぶれ

ここで日本語の二人称に目を移すと、元々は相手を高くしていた言い方が、落ちぶれるケースが、ままある。 例えば、「貴様」という言い方は字面だけを見れば、「貴」と来たうえに「様」である。随分、相手をたてまつっているように見える。 しかし、実際には…

私からあなたへ

別に参らずとも全然かまわないが、それはさておき。 昨日、一人称について書いた。 日本語の一人称の不思議なところは、一人称(自分のこと。「私」など)がいつのまにか二人称(相手のこと。「あなた」など)に変身する場合があることだ。 例えば、手前、と…

まずは言い訳

この日記で、言葉についてああだこうだと書くことがあるけれども、言語学や日本語論に興味があるわけではない。 もっぱら日本語について書いているが、わたしがある程度使いこなせる言語は日本語だけだから、というに過ぎない。わたしは日本語バンザイ主義者…

一人称を選ぶ

この日記では、最初、「僕」を使っていた。 しかし、謙虚に構えすぎている感じがして、また、少々、カマトトっぽいニュアンスもあって(「ボク」にすると、そのニュアンスはもっと強くなる)、変えたくなった。 一時期、「私」を使っていたが、「まあ、そん…

一人称

いや、そんなことを書こうと思っていたのではなかった。 日本語には、非常に多くの一人称がある。思いつくままに挙げていこう。 私(わたし、わたくし)、僕、俺、わし、我、小生、あたし、あたくし、あっし、おいら、あたい、拙者、手前、身ども、それがし…

自分=わたし

この日記では、自分のことを「わたし」と書いている。 数学的に記せば、 自分=わたし である。 ここに、ひとりの女が登場する。何やら怒っているらしく、彼女は言う。 「自分の胸に手を当てて考えてみなさい!」 わたしにとっては、耳にタコができているセ…

品質管理

対照的なのが、松下電器だ。 以前、まだライター業をしていた頃、仕事で松下のデザイナーの話を聞く機会が割によくあった。 彼らの嘆きは、製品の強度や耐久性に関する社内基準とテストが、異様に厳しいことだった。 松下の社内では、品質管理を担当する部門…

魅力の作り方

では、そのソニーの魅力とは何だったかというと(もはや過去形にせざるをえないのだが)、大ざっぱにいって、人を驚かすこととデザインだったと思う。 かつてのソニーは、「うわ、こんなこと考えたんだ」という製品を(たまに)出した。その驚きの印象がソニ…

ブランドイメージ

ソニー製のパソコン向け電池パックが大量リコールとなった件で、昨日の朝日新聞にこんなことが書いてあった。 誤算の代償は(中略)「SONY」ブランドのイメージ低下として高くつきそうだ。 果たしてそうだろうか、と思った。 いや、リコールでイメージが高ま…

そこに〜があるから

「そこに山があるから」という有名な言葉がある。 登山家のジョージ・マロリーの言葉だそうだが、登山に興味がないので、どういう人なのかよく知らない。 世間では、名言だ、さすがマロリーだ、やるねえ、ヒューヒュー、ということになっているようだが、さ…

慣れ

もうひとつ考えられるのは、昨日も書いた「慣れ」である。 「よろしかったでしょうか?」という表現に慣れると、自然に口をついて出てくるようになるのだ。 例えば、わたしは就職したとき、「いつもお世話になっております」という言い回しに衝撃を受けた。…

弁護を買って出る

あえて弁護を買って出ると、こんなふうに捉えることもできる。 注文を確認する側からすれば、客が注文したのは過去のことである。その時点では、「ハンバーグステーキ、ライス」で「よろしい」。ということは、それから少し時間が経った今では「よろしかった…

よろしかったでしょうか

昨日書いた敬語とはちょっと違うのだが、「よろしかったでしょうか」という言い回しがあって、気になる人も多いようだ。 レストランや喫茶店など、客からの注文を聞いて、確認する際に出てくる表現だ。 のっけから話がそれるが、わたしには秘やかな野望があ…

敬語の濫用

まあ、しかし、実際には、敬語を選ぶのがメンドくさい、あるいは、とりあえずそう言っておきゃいいんだろ、あるいは、口癖になっているわけでして、なんていう心の働きも、あるのだろう。 よく、「敬語の濫用」が取りざたされる。「させていただく」の氾濫も…

させていただく

「させていただく」という言い方は、本来、相手の許可なり恩なりを得て自分が何かをするとき、使うらしい。 先の落語の例でいえば、「(お客様がこうやって寄席にお越しくださるおかげでアタクシも噺家稼業ができるわけでして、ありがたくこのように)話をさ…

敬語

わたしは、文章を道具に商売している割には敬語の使い方に無頓着で、よく言われる「敬語の乱れ」というものがあまり気にならない。 まあ、ひとつには「勝手にやっちょれや、この愚民どもめが」と人を一方的に蹴落とす卑しい根性があるからで、内心、自分から…

セグウェイ

昨日一番のニュースは、誰が何と言っても、セグウェイ、日本発売であった。 え、違う? あ、そう。 セグウェイというのは、2つの車輪に長いハンドルがついていて、立って乗る電動二輪車だ。 ・asahi.com - 「夢の乗り物」セグウェイ、国内販売スタート テレ…

我が身を振り返って

で、わたしが生まれ育った富山という土地について書く場合だが、どうもなかなか道化に徹しきれない。 いささか気に食わぬのだけれども、愛憎が作用してしまい、なかなか突き放して見ることができないのだ。 もっと、トーンと突き抜けたいのだが、なかなか。 …

道化

「自虐」と表向き似たものに、「道化」がある。 しかし、ストレートな自虐と道化には、大きく違う部分がある。 ちょっとコムズカしい書き方になるけれども、道化は自虐に見せかけて、実は冷静だ。 自分のしょうもなさやダメな部分、変テコさを客観的に、突き…

自虐

一昨日、昨日と自分の生まれ育った土地、北陸・富山県について書いた。 どうも、この手の話を語るとき、自嘲的、自虐的になってしまう。 というのは、わたしが自分の生まれ育った土地について、「今イチである」と感じているからで、そんな感じ方に愛憎がウ…

はてなの編集ページ

はてなの編集ページのデザインが、いつのまにか丸っこくなって、子供っぽいマークが増えている。 はてなもファンシーの方向へ進むのだろうか。 ミキハウス化は勘弁してくれ。親しみやすさということを勘違いしている。 ライブドアやヤフーのブログじゃないん…

におい

「似たにおいを感じる」と書いたが、実際、一般人であっても、わたしには富山県出身者がわかる。 いや、会ってすぐわかるわけではないが、富山の出身、と聞くと、「ああ、なるほどね」と納得するものがあるのだ。 それぞれの個性はもちろんあるし、顔だって…

実例をもとに

と、予防線を張ったうえで、これからわたしは単純かつ安易な話をしてしまうのである。 あらかじめ「そこらのことはわかっておるのだ」と断っておくのは、よくある文章のテクニックだ。ま、セコい手である。 さて、こういう人々が並んでいる場合、いったい、…

県民性

昨日に引き続き、「稲本喜則・故郷を思う」シリーズの第2弾である。 わたしは富山県で生まれ育った。 昨日の日記で富山の名前を出さなかったのは、どこだかわからない人も多かろうと思ったからで、東京に来てから「えーっと、富山って、金沢県富山市だっけ?…