バッハの子供達

 昨日に引き続き、バッハについて書くが、たぶん、音楽の内側とは関係ない話になるはずだ。


 バッハには、20人もの子供がいたそうで、いくら何でも作りすぎではないか、と思う。


 もっとも、歴史上の有名人物にはもっと子供を作った人がいて、例えば、江戸幕府の11代将軍徳川家斉には男子28人・女子27人の子供がいたそうだ(男子の数が女子のそれより1人多い、というのは、確率の法則や人口統計の点で興味深い)。
 ただし、家斉には確認されているだけで40人の妻妾がいたというから、一種の分業の結果だろう。


 その点、バッハの偉いところ(なのか?)は、妻が2人しかいなかったことだ。以下に、子供のリストを挙げる。


 最初の妻、マリア・バルバラとの間の子供。


1708 カタリーナ・ドローテア
1710 ヴィルヘルム・フリーデマン
1713 ヨハン・クリストフ
1713 マリーア・ゾフィー
1714 カール・フィリップ・エマヌエル
1715 ヨハン・ゴットフリート・ベルンハルト
1718 レオポルト・アウグスト


 2度目の妻、アンナ・マグダレーナとの間の子供。


1723 クリスティアーネ・ゾフィー・ヘンリエッテ
1724 ゴットフリート・ハインリッヒ
1725 クリスティアン・ゴットリーブ
1726 エリーザベト・ユリアーネ・フリーデリカ
1727 エルネストゥス・アンドレーアス
1728 レギーネ・ヨハンナ
1729 Ch・ベネディクタ
1731 Ch・ドローテア
1732 ヨハン・クリストフ・フリードリヒ
1733 ヨハン・アウグスト・アーブラハム
1735 ヨハン・クリスティアン
1737 ヨハンナ・カロリーネ
1742 レギーナ・スザンナ


 最後のほうは名前をつけるのが面倒くさくなったのか、ヨハン(ヨハンナ)が続く。


 子だくさんで知られるプロ野球工藤公康は、冗談まじりに「野球チームを作れるまで行きたいね」と言ったことがあるが、バッハの場合、野球チームどころか、試合ができる。
 もっとも、当時の衛生事情、医療事情のせいか、半分くらいは生まれてすぐか、幼い頃に亡くなってしまったそうだ。


 特に2番目の妻、アンナ・マグダレーナさんは大変で、1723年から1733年までほぼ毎年出産している。


 英雄色を好む、はちょっと違うか。下世話な話になるが、あれだけ大量の楽曲を作れたのには、精力の強さも関係しているのかもしれない。


 躁状態になって、ごく短期間に大量の作品を生み出す人もいる。宮沢賢治がそうだったらしい。
 しかし、バッハの場合は、精神の安定、生活の安定もあったのだろう、長年に渡ってひたすらファイト一発のオトーサンだったのではないか、と子供のリストを見て、勝手に想像するのである。