もちろん、バッハ自身は何も悪くない。
が、あの肖像画もいけないと思うのである。
「バッハ」の肖像として知られている絵はこういうものだろう。
近寄りがたい雰囲気を漂わせている。エラソーである。
あの白いかつらがいかんと思うのである。かつらは昔の西洋では正装だったそうだが(今でもイギリスの裁判官はかつらをかぶるらしい)、「権威」、「エラソー」、「ごリッパですねえ」という印象に結びつく。少なくとも、ロケンロールでソウルフルでスウィンギーで以下略な連中にとっては。
しかし、家にいるときのバッハは、もしかしたら、こんな風貌だったかもしれないではないか。
オカマの瀬戸内寂聴みたいでもあるが。
もちろん、バッハの風貌と彼の作った音楽の内側は関係ない(たぶん)。
しかし、バッハなり、クラシックなりは、とっつきの際の敷居が高い。
それをまた鼻持ちならない連中が変なふうにお高く持ち上げるものだから(本人達は気づいていないだろう)、なおさら聴いてみようという気が失せる。
そりゃあねえ、若き血潮の、リビドー高止まりの連中は、そんな面倒くさそうなものには近寄らないで、チェキチェキ言いながらケツ振っていたほうが楽しいと感じるだろう。
もったいないことである。
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「今日の嘘八百」
嘘二百六十五 バッハの母、マリア・エリーザベトは「音楽の祖母」である。