内臓品質

 おれは臓器提供者の意思表示をしていて、そのココロはどうせ死んだら燃やすんだから内臓なんていらないヨ、というだけのことである。おれが事故にあうかなんかして助からないとなったら、勝手に持ってけ、ドロボー、てなものだ。

 しかしまあ、ひとつ問題なのは、内臓の品質をまったく保証できないことで、もらった人(つまり、移植された人)も後で困るんじゃなかろうか。「こんな内臓ならもらうんじゃなかった。前よりダメじゃん」と思われたら、心苦しい。

 こちらはそのときもうくたばっているんだから、関係ないといえば関係ないが、いささか心残りではある。将来、内臓を人にあげることになるのか、どういう人がもらうのかわからないが、先に謝っておく。申し訳ない。きっと運が悪かったのです。

正しい日本語と方言

 おれは富山で生まれ育って、大学に入るため、東京に出てきた。

 富山にいた高校まではがっつり富山弁をしゃべっていて、今でも父母兄弟と話すときは自然と富山弁になる。

 若い頃は、東京で方言を話すのは恥ずかしいこと、という感覚があった。高校生のとき、受験の下見に東京に初めて来たとき、特急白山のなかで同行した同級生たちと「東京に着いて、最初に富山弁出したやつ、飯おごり」と約束した。誰が飯をおごったかは忘れた。

 三、四十年前は、たぶん、おれだけでなく、多くの人が方言を垢抜けないもの、どこか恥ずかしいものと感じていたように思う。東京であからさまに方言を笑う人もいた。

 今はその頃よりはだいぶましになって、それぞれの方言のニュアンスを好ましいものと捉えられるようになってきた。それでもいまだに方言を下に見る感覚はあるし、おれも他地域の人の前で富山弁を話すのには抵抗を覚える。

 洗練されない、痩せこけた話である。

 よく人の言葉遣いについて「日本語として間違っている」とか、「正しい日本語を使ってほしい」と言う人がいる。その「正しい日本語」というのはおそらく標準語(共通語)か、NHKのアナウンサー言葉のことだろう。では、方言は正しい日本語ではないのだろうか。

 いわゆる標準語は、明治以後の国語教育のなかで成立していったらしい。戦後は文化庁のもとの国語審議会で日本語表記や発音についての基準や方針を定めた。例えば、昭和三十年代半ばの第五期国語審議会の報告書はこんなふうだ。

文化庁 | 国語施策・日本語教育 | 国語施策情報 | 第5期国語審議会 | 語形の「ゆれ」の問題

 標準化、統一を目指す形で議論されている。

 一方、NHKには放送用語委員会という機関があって、ここで用語や発音の標準化を行っている。しゃべり言葉について「正しい日本語」「間違った日本語」を指摘する人たちはこの委員会が定めた用語、音の感覚を(おそらく、なんとなく)正しいものとしているのだろう。

 おれは言葉というのは地域(空間)でも時代(時間)でも変化するし、いろいろなものがいりまじるし、そのほうがニュアンスも多様になって結構だと思っている。でなければ、今でも「ありをりはべりいまそがり」などと言っていなければならないかもしれず(まあ、平安朝が基準という理由もないが)、正しい日本語なんてものはないだろう。

 別に政府系の審議会や放送局の委員会に従う義理はない。むしろ豊かな表現を考えるなら、もっと各人勝手にやりたいようにやればよいと思うのだ。嫌いな言葉も含めて。

 自分の「嫌い」を社会的に見た「誤り」とすり替えてはいけない。「間違い」を指摘することで、溜飲を下げたり、一段高まった気分になったりするのもみっともないと思う。

怒っているのは誰か

 前にも書いた気がするが、もはやおれの頭のなかは靄の森のなかなので、ご勘弁。

 大嵐などの異常気象、地震、火山の大噴火などが起きると「(人間の活動に対して)地球が怒っている」などと言い出す人がいる。

 聞くと、いつもムゥと萎えるような心持ちになる。陳腐な表現だし、そもそも人間の活動を地球が気に留めているのかどうかもわからない。

 人間の活動が散り積もって、地球が反応することはあるだろう。それは物理的反応、あるいは化学的反応、生物の集合としての反応であって、地球の感情表現ではない。というか、地球が感情を表現するのかどうかなぞ、人間ごときの分際ではわからない。

 どうして「地球が怒っている」などと考えるのだろうか。もしかしたら、地球は爆笑しているのかもしれんではないか。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/93/Stromboli_Eruption.jpg

「思わず、吹きました。」

(Wolfgangbeyer / CC BY-SA (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/))

 

「地球が怒っている」という類の表現をする人を見かけると、いつも思う。怒っているのは地球ではない。あなたである。

起きていたことの歴史とファンタジーとしての歴史

 立川談志が何かの噺のマクラでこんなことを言っていた。

「最近は本当の歴史を教えないでしょう。本当の歴史というのは、国定忠治とか、鼠小僧次郎吉とか、ピストル強盗清水定吉とかね」

 どの噺だったか思い出せず、うろ覚えで書いた。出てきた人物は間違っているかもしれない。

 談志の言う「本当の歴史」というのはアイロニーではなく、日本人が心の中に持っておくべき本当の歴史、と言いたかったんではないかと思う。

 先週、司馬遼太郎について書いた。その中で「司馬遼太郎をもとに歴史を語るのは、滑稽である。」と書いて、自分でも少し引っかかっていた。本当に滑稽だろうか。

 歴史にも2種類あると思う。

 ひとつは、史実や、人々の集団・経済・産業・技術・文化・地理などの変化を研究する起きていたことの歴史である。学校で教えるべきとされるのはこちらの歴史だ。

 もうひとつは、講談や芝居、読み物、映画、ドラマなどの中で培われてきたファンタジーとしての歴史である。英雄譚を主とした伝説の世界と言ってもよい。伝説と言っても古代にまで遡る必要はなく、幕末から日清・日露戦争あたりの人物も伝説化しているし、この頃では日中戦争・太平洋戦争の人物の伝説化が進んでいる。「信長・秀吉・家康に見るリーダーの条件」みたいな話も、ファンタジーとしての歴史である。

 先週書いた司馬遼太郎はふたつ目のファンタジーとしての歴史の書き手である。小説家(読み物作家と言ってもいい)だから当然である。ただ、あの人の厄介なのは史料や記録の類を話の中に織り交ぜて、いかにも起きていたことのように見せるテクニックを多用したことだと思う。まるで起きていたことの歴史のように読ませてしまう。

 司馬遼太郎の作品は本質的には英雄譚、ファンタジー、伝説であって、それは講談などの流れを汲むものである。面白いエピソードをつないで長い英雄譚をつくるのが仕事の人だ。ところが、虚実まじえるうちに、NHKをはじめとするメディアを通じて、起きていたことの歴史の大家のように祭り上げられてしまった。なんとなくの印象だが、NHKの番組に出たときの控えめな語り口からすると、司馬遼太郎本人もその矛盾は感じていたのではないか。

 起きていたことの歴史とファンタジーとしての歴史のどちらが重要か、と言われれば、どちらも、である。民族という言葉は人を雑にくくるのであまり使いたくないが、ある集団に帰属すると考える人々にとって、ファンタジーとしての歴史や伝説(日本なら赤穂浪士国定忠治の世界)はアイデンティティーや価値観や行動規範を伝える役目も担っている。それは「ファンタジーだから」という理由で簡単にポイできるものでもないだろう。義経の物語や石川五右衛門や次郎長一家を、史実と違うからポイというわけにはいかない。よしあしは別として、人の心のある重要な部分を担っているものだと思う。

 まあ、起きていたことの歴史とファンタジーとしての歴史は区別しておいたほうがよいとは思う。事実としては嘘だけど、心の中の大事な光景としては存在する、なんてこともあると思うのだ。

遼太郎がゆく

 司馬遼太郎、という作家がいる。

 大正の終わりに生まれ、戦後に人気作家となった。

 初期は忍者小説を書いていたが、しだいに歴史上の実在の人物を主人公とする歴史小説を書くようになった。

 国民的作家、と呼ぶ者もいる。

 その、極めて酒精分の高い文体は、一度はまると、他の小説が読めなくなるとも言われている。

 あるいはーー。

 一文か二文で改行するので、たくさん読んだ気分になれる。

 必然的にページ数が増え、分冊すればたくさん売れる。出版社も随分と儲かったことであろう。

 それはしばらくおくーー。

 司馬遼太郎の小説で歴史を学んだ者も随分といる。

 遼太郎の書く小説のどこまでが史実か。

 それは誰にもわからぬーー。

 坂本龍馬を書いた「竜馬がゆく」は後世においても人気が高い。

 司馬遼太郎の創作した坂本龍馬像とその行動は、ある意味、現代の幕末の常識にすらなっている。

 驚嘆すべきことに、Wikipediaで「坂本龍馬」の項を見ると、「竜馬がゆく」の内容がそのまま書かれている。

 実際に坂本龍馬が何をしたのかはわからぬところが多い。

 有名な「船中八策」も後世の創作という説が有力という。少なくとも幕末から明治初の史料には見当たらぬ。

 余談が過ぎた。

 筆者、言う。

 日本の戦後の歴史小説は、戦前の講談本の流れを汲んでいる。

 司馬遼太郎の文体は講談そのものの口調ではないが、独特の節まわしで聞かせるところはよく似ている。

 講談からの流れを汲む歴史小説に、史実を含むさまざまな話の種を織り込んだのが司馬遼太郎であろう。

 司馬が資料を集め始めると、関連する古書が業界から払底した、という話が愛好家の間でひとつ話のように語られている。

 歴史の検証が目的ではなく、史実を含めて人の血を騒がすエピソードを探していたのであろう

 幕末の人物を書くにあたって、明治終わりや大正の頃に流布した講談・伝説の類から引っ張ってきていることも多いようである。時には実在しない史料を創作したこともあった。

 面白い小説を書く、というただ一点に力を注いだ人物であった。

 司馬遼太郎をもとに歴史を語るのは、滑稽である。時代劇研究家の春日太一は書く。

「時代劇は『過去の再現』ではなく、『こうだったらいいなあ』というロマンを描くファンタジーなのです。」

 歴史小説にもまた言えることであろうーー。

時代劇入門 (角川新書)

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思想の疑惑

 思想というものに出くわすとつい疑惑のマナザシで見てしまうクセがおれにはある。まるっきり否定するということでもなくて、「ホントかな?」と少し距離を置いて見ている感じである。

 思想、あるいはもっと広く人の考えというのは、ある一面は言い当てることがあっても、別の面には当てはまらなかったり、考慮していなかったりする。ある部分を切り取ったり、単純化して話を通りやすくするのが思想のミソであるから、まあ、ものすごく多くの要素が複雑にこんがらがった人の世を上手に分解するのは難しかろうと思う。

 おれが中学、高校の頃にはまだマルクス主義が幅をきかせていて、真面目に信奉している人も多かった。大学では近代経済学と並んでマルクス経済学も教えられていた。ソ連邦や東欧の社会主義諸国との行き来があまり多くなく、今の北朝鮮のように部分的な情報がデフォルメして伝えられていた。

 1980年代終わりから1990年代初頭にソ連邦と東欧の社会主義諸国が倒れ、中で起きていたことがだんだん明るみに出るにつれて、マルクス主義の旗色は悪くなっていった。共産党赤旗は白旗に変わった。

 共産主義社会主義を説いたかつての人々・・・マルクスにせよ、レーニンにせよ、随分と頭がよく、論理も筋が通り、またかなりいろいろな物を見ていた人たちだろうと思う。しかし、その「理想」が形をとって、だんだんと進行していくとなんだかひどいことになってしまった。おれが思想というものをあんまり信用していないのはそのせいもあるようだ。

 ・・・とまあ、知ったようなことを書いてきたが、おれのような馬鹿が思想を語るとロクなことにならない、というのが一番の理由である。

 20世紀後半のハイエクという哲学者・経済学者が「人間は必ず間違う」ということを語っていて、おれもその通りだと思う。思想、というか、論理的に積み重なっていったものは疑惑のマナザシで見ておいて、経験主義的にちびちびと物事を変えていくのがベストとは言わないが、ベターではないかとおれは思っている。

川と繁華街

 昨日、自転車で近くの目黒川をさかのぼった。中目黒のあたりは目黒川にそってこぎれいない店が多く、なかなかにいい感じである。中目黒が洒落たスポットになったのはここ5年くらいだろうか。

 全国の繁華街を考えると、川の近くに風情のある街が多い。京都の鴨川、高瀬川あたり、大阪の道頓堀、金沢の香林坊あたり、福岡の中洲、高山の宮川……まだまだあるだろう。

 東京の繁華街には川の風情の生きたところが少ない。浅草には隅田川があるが、川と繁華街の間の公園のせいで少し分断されている印象だ。日本橋には川があるけれども、上を首都高がふさいでいて、風情も何もあったものではない。考えてみると、川沿いにいい感じの繁華街ができあがっているのは中目黒あたりくらいではないか。

 風情という点でもったいない気がする。一杯やってふらっと外へ出て、川で風にあたるなんて、実に気分のいいものなのだが。