末端の人々

 朝早くに家を出て駅に行くと、駅前で日本共産党がビラを配っていた。70代とおぼしき爺さんと婆さんである。

 この人たちは今でも共産党のために活動しているのだなー、どういう人生を歩んできたのだろうか、などとぼんやり思った。

 70代だとすると、いわゆるベビーブーマーで、1970年前後あたりにはおそらく学生運動に参加していたのだろう。共産主義がまだ多くの人にとって理想的と思われていた時代だ。

 その後、1990年あたりにソ連と東欧の共産主義政権が次々と倒れ、また、共産主義系統の社会主義の欠点があらわとなった。官僚主義が幅をきかせ、人々は「計画」なるものに基づいて命じられたように働かざるを得なくなり、自由がないので創意工夫は発揮できず、労働意欲は低くなり、物の乏しさばかりが目立つようになっていく。中央の言うことへの不満や反対を表に出した者は矯正という名の下で強制労働に従事させられたり、下手すると処刑されたりする。

 そうした歴史の光景を見てきて、駅前でビラを配るあの爺さん、婆さんは今、共産主義をどう考えているのだろうか。まだ信じているのか、もはやあんまり信じずに、ただ何らかの社会正義の実現を目指して党のために働いているのだろうか。

 昔は共産党の末端の組織を「細胞」と呼んだ。元々は組織的に他と切り離されても自立的に運動できることから細胞と呼んだらしいが(アメーバ的なイメージ)、全体組織が確立されていくと人体の末端の細胞のように中央(脳神経系のイメージ)の命じることをこなす存在になっていく。細胞は全体の中に組み込まれ、自立性は持てなくなり、言われたことを忠実に行う者が評価される。少なくともおれにとっては嫌なイメージである。

 あの爺さん、婆さんは細胞として活動しているのであろうか。

 若い頃理想を信じて、そのまま運動を続けているうちに命じられたことをこなす小さな細胞になってしまったとしたら、何やらさびしい感じがする。