2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

例によって「何様?」と問われれば「オレ様だ」と答えるほかないようなことを書くんだが、簡単に「みんな」とまとめてしまうやつがいる。 たとえば、例の「みんなの党」なんだが、あの「みんな」には日本共産党も幸福実現党も全国郵便局長会の人々も含むんだ…

体の部位と音楽と

では、音楽を体の部位と結びつけるとどうなるだろうか。 YMOは先に書いたように典型的な「頭」に来る音楽だろう。同じく典型的な例として、アルバム1枚きりしか知らないんだが、Radioheadの「OK Computer」が挙げられると思う。かつてのプログレの多くもそう…

頭の音楽、胸の音楽、腹の音楽

おれは1966年の生まれだが、同世代の人間と十代の頃の音楽の話をしても今イチ話が合わない。 たとえば、中学の頃、YMOにハマった人は多いらしく、今でも坂本龍一を崇拝している人もいる。その崇拝の度合いはちょっと驚くぐらいだ(大きなお世話か)。おれはY…

馬鹿による迷惑について

今日は馬鹿と迷惑の問題について書く。 京都は土地が平坦なせいか、自転車に乗っている人が多い。でもって、ワカゾーに多いのだが、携帯電話を操りながら自転車に乗る馬鹿にしばしば出くわす。 危ねえ。馬鹿じゃないか。ではなくて、馬鹿である。歩行速度の…

一人称を変える

少し前からこのブログでは一人称に「おれ」を使っている。それまでは「わたし」を使っていたのだが、少し感じを変えてみようと思った。正直なところ、まだちょっと慣れていなくて、自分で読み返しても違和感がある。まあしかし、もうしばらく続けてみようと…

漱石「こころ」を悲恋物語として考える

上記を書きながらふと思ったのだが、夏目漱石「こゝろ」を悲恋物語として捉えるとどうなるだろう。「先生」と「奥さん」にとっての障害は、「親友Kの死」ということになる。「先生」と「奥さん」の恋は一応成就するのだが、特に「先生」にはずっと重い影が落…

現代の悲恋物語について

一昨日、ひさびさに文楽を見てきて考えたのだが、現代を舞台にすると悲恋物語というのは結構書きにくくなっているのではないかと思う。いや、おれはどちらかというと愛だ恋だチューだという物語に関心がないほうなので、いささかリクツになってしまうんだが…

国立文楽劇場について

大阪の国立文楽劇場には初めて行った。 東京の国立劇場は皇居と最高裁判所に面していて、おれのような下賤のものには少々敷居の高い感じがする。最高裁判所の前を通るとき、なぜだかコソコソしてしまう。 一方の大阪の国立文楽劇場はラブホテル街に接してい…

国立文楽劇場で妹背山婦女庭訓を見る

大阪の国立文楽劇場で文楽の「妹背山婦女庭訓」(いもせやまおんなていきん)を通しで見た。 有名な「妹山背山の段」は四人の太夫(義太夫を語る人)で語る。大御所の住大夫、綱大夫と、若手〜中堅くらいの文字久大夫、呂勢大夫。文字久大夫の堂々とした語り…

文字が読めないことについて

もうひとつ、書を見るとき、「何の字が書いてあるかわからない」という問題があるが、おれの経験からすると、すくなくとも「わからなくても楽しめる」ということはいえる。 たとえば、洋楽をきくとき、おれはたいてい何を言っているんだかわからない。それで…

現代風の文字の見方と昔の文字の見方

今日でも、もちろん、書を楽しむ人は大勢いるわけだが、日本の人口全体から見れば少数派だろう。ではなぜ書を楽しまない(楽しめない)人のほうが多いかというと、「何の字が書いてあるかわからない」「文字をパターン認識してしまう」という2つの理由が大き…

おれの書の楽しみかた

日本の美術はわりに好きで、気が向いたら見にいく。絵、陶器を見ることが多い。 書については、昔は「どうせおれには読めんし」とハナっから敬遠していた。しかし、楽しみかたを教わってから、ものによっては、よいなあと思えるようになってきた。 その楽し…

ラグビー日本代表は横綱土俵入りをやるべし

ラグビー日本代表は、試合前に全員で横綱土俵入りをやるといいんではなかろうか(いや、マジで)。神秘の国というか、えたいの知れないやつら、という印象を相手にあたえられると思うんだが。試合で強くないと、サマにならないけどね。▲

ハカ・バトルがコーフン的だ

すこし前に紹介したラグビーのニュージーランド代表(オールブラックス)とトンガ代表のハカ・バトル、何度見てもコーフン的でよい。 くりかえしになるが、ハカというのはもともとマオリ族の戦士が戦いの前におこなう踊りで、それをオールブラックスがとりい…

一人称を変えてみる

ブログでの一人称を「わたし」から「おれ」に変えてみることにした。▲

不器用者

ガキの時分からそうなのだが、やたらとモノを落とす。財布をなくす類の「いつのまにか」というのではなくて、今そのとき手に持っているものを落とす。不注意なのか筋力の調整機構がうまくいっていないのかわからないが、とにかく落とす。やたらと落とす。め…

欧文で歌う

前に何度も書いたおぼえがあるのだが、他に特に書くネタもないので、ひとつ。 CDショップに行くと、よく、レコード会社がプッシュしている曲やミュージシャンのポスターが貼ってあり、CDが店頭にならべてある。日本のポップスには相変わらず欧文表記のものが…

漢語の出自

昨日、日本語の中の漢語は、言葉の指し示す対象の範囲をくっきり区切る印象がある、論理的に対象を把握したいときに多用される、というようなことを書いた。たとえば、数学の問題によくある「円の中心から直線を引く」には円、中心、直線という3つの漢語が含…

和語と漢語の区切り方

まだ自分のなかでもこなれていなくて上手く説明できるかどうかわからないのだが、まあ、書いてみる。 思想方面の言葉遣いというのがあって、昔からわたしは苦手としている。読んでもピンと来ないし、身のうちに入ってくる感じがしない。たとえば、こんなふう…

浅草フランス座出身の芸人

インターネットでつらつらと見ていて、「そうか、渥美清と萩本欽一とビートたけしは同じ浅草フランス座の出身、同窓なのか」と思った。 浅草フランス座というのは浅草にあったストリップ劇場で、踊り子の出演の合間にコントをやっていたという。わたしは行っ…

新芽と生命力の衰え

鴨川べりを自転車で走ると、満開の桜もきれいだが、柳の芽吹きもまた美しい。 桜の下を抜けるとぱっと心が浮き立つような心持ちになるが、芽吹いた柳の淡い緑の小さな葉を見ると愛おしい心持ちになる。生まれたばかりの壊れそうな赤ちゃんをそっと抱くような…

花見とヤンキー

家の近くに哲学の道がある。昨日は快晴で気持ちのいい日だった。花見がてら散歩に出かけた。 当然ながら、観光客が多い。種々雑多、さまざまな人がいる。言葉を聞くと、中国系の観光客も多いようだ。わたしは京都に住み始めてまもないので詳しくはわからない…

くろ谷の会津藩士

家から南へ7、8分のところに金戒光明寺という浄土宗の大寺がある。地元ではもっぱら「くろ谷さん」という名で呼ばれているようだ。大寺ではあるけれども、それほど観光地化しておらず、普段は参拝客はまばらである。境内を歩くと、山門や建物、石畳など、剛…