浅草フランス座出身の芸人

 インターネットでつらつらと見ていて、「そうか、渥美清萩本欽一ビートたけしは同じ浅草フランス座の出身、同窓なのか」と思った。

 浅草フランス座というのは浅草にあったストリップ劇場で、踊り子の出演の合間にコントをやっていたという。わたしは行ったことがない。今は「東洋館」と名を改めて演芸専用ホールとなっている。

 浅草フランス座出身の有名な芸人を並べると、以下の通り。

渥美清
東八郎
萩本欽一
坂上二郎
ビートきよし
ビートたけし

 その他に、長門勇由利徹も関係が深いらしい(籍を置いていたのか、客演的なことだったのか、ここらへんよくわからない)。井上ひさしが、若い頃、コント台本を書いていたという。

 上記の人々、同じ劇場の出身者であっても、同期は別として、少し世代が違うとあまり強いつながりを持たないようだ。少なくとも芸能界での派閥的なものはない。渥美清は1928年生まれだから世代がだいぶ違うけれども、萩本欽一は1941年生まれ、ビートたけしは1947年生まれでそれほど年が離れているわけではない。あまり馴れ合い的なもののない場所だったのだろうか。

 こうやって名前を見ていると、「芸人」のにおいのする人たちだ。あるいは「コメディアン」という言葉も合う。大阪はまたちょっと違う気がするが、今の東京の若いお笑い系の人たちにはあまり「芸人」という言葉が似合わない。「芸人」という言葉の合う・合わないは、劇場などのいわゆる「箱」で修行したかどうかによるのだろうか。

 ま、しかし、テレビで育ったはずの志村けんにも「芸人」「コメディアン」という言葉が合うから、「箱」だけの問題でもないようだ。「芸人」「コメディアン」のにおいというのは何から生まれるのだろう。