別に参らずとも全然かまわないが、それはさておき。
昨日、一人称について書いた。
日本語の一人称の不思議なところは、一人称(自分のこと。「私」など)がいつのまにか二人称(相手のこと。「あなた」など)に変身する場合があることだ。
例えば、手前、という一人称がある。
「手前、生国と発しますは〜」という博徒の挨拶や、「手前どもでは、いたしかねます」なんていうホテルや高級店の言い回しに出てくる。
ところが、これが「てめえ」と訛ると、二人称と化してしまうのである。あるいは「お手前」と「お」がついても、二人称になる。
客「これ、弁償しろ」
店長「手前どもでは、いたしかねます」
客「いたしかねますぅ? 随分、お高くとまってるじゃねえか」
店長「いえ、そのようなつもりでは。お客様のひがみでございましょう」
客「てめえ、ぶっ殺されてえのか!」
店長「おう、若えの、あんまり調子に乗るんじゃねえぜ」
客「あ?」
店長「こんなところで見せたくはなかったが」
客「あ、あ、お、お手前は、もしかして名のある……」
店長「いや、それほどの者じゃありやせんがね」
客「ま、まずはそちらさんからお控えなすって」
店長「それでは仁義になりませぬ。そちらさんからお控えなすって」
客「それじゃ、控えさせていただきやす」
店長「早速のお控え、ありがとうござんす。手前、生国と発しますは関東。関東と申してもいささか広うございます〜」
まあ、こんな話の流れは実際にはないだろうけれども。
関西では相手のことを「ジブン」と言う。河内のほうだろうか、相手を「ワレ」と呼ぶけれども、あれも、たぶん、「我」から来ているのだと思う。
「おのれ」も一人称、二人称、両方で使う。
もっとも、現在、一人称で使う場合は「自分自身」という意味で使い、厳密な意味での一人称(「私」とか)とはちょっと違うかもしれない。その点、関西の「ジブン」に似ている。
元々は、どういう心の働きだったのだろう。
子供に「ボク、いくつ?」と呼びかけるような感覚だろうか。