この日記では、自分のことを「わたし」と書いている。
数学的に記せば、
自分=わたし
である。
ここに、ひとりの女が登場する。何やら怒っているらしく、彼女は言う。
「自分の胸に手を当てて考えてみなさい!」
わたしにとっては、耳にタコができているセリフだが、それは置いておく。
さて、このセリフに、代数の手法に従い、先の「自分=わたし」を代入すると、
「わたしの胸に手を当てて考えてみなさい!」
というセリフが得られる。
「しめた!」と、ここで彼女のオッパイに手を当てたら――なぜそんなことになるのだか、今イチよくわからないのだが――平手が飛んでくるのである。
数学的には正しくても世間的には間違っている場合があるのだ。
年をとるに従って保守的になっていく人が多いのは、そういう機微がわかってくるせいではないか。
「保守的思考とは、オッパイを前にした際、経験的な理解に判断を委ねることである」、と、ジョン・ロックもその著「人間悟性論」の中で書いている。嘘である。