自分が生まれた頃の風俗流行

 ふと思ったのだが、今年は平成22年であるから、平成生まれの大学生がそろそろ就職の時期を迎えることになる。生年月日を書く欄の「平」あるいは「H」に丸をつける人々が大量に社会に出てくるわけだ。

 彼らが生まれたのは1980年代終わりであるから、バブルの頃である。バブルの頃のあれやこれやをわたしは具体的な記憶として思い出せる(正直、バカみたいな記憶ばかりである)。では、バブルの頃に生まれた彼らはバブルというのをどういう時期として捉えているのだろう。

 たとえば、わたしは1966年生まれで、1966年の世相というのをほとんど覚えていない。当たり前だ。オッパイがほしいと言っては泣き、ウンコやオシッコを漏らしたオムツを替えろと言っては泣き、それらの要求が満たされれば満足して後は寝ていただけであるから。生まれたばかりの頃のことは、後で記録として見ることはあったとしても、生の目で見た体験的記憶としては覚えていない。

 同じ伝で、平成初めに生まれた人々もおそらくバブルを体験的記憶としては覚えていないだろう。バブル崩壊の頃は辛うじて覚えているかもしれない。その後の日本は経済的にしんどいことが多く、彼らは必ずしもいい目を見ていない。彼らにとって、バブルは、自分とは関係のない歴史の中の(少々狂った)一こまなのか、それとも自分の現在の苦境を生んだ原因のひとつとでも捉えて、いささかの恨み節が混じるのだろうか。ハテどうなのだろう。