この日記では、最初、「僕」を使っていた。
しかし、謙虚に構えすぎている感じがして、また、少々、カマトトっぽいニュアンスもあって(「ボク」にすると、そのニュアンスはもっと強くなる)、変えたくなった。
一時期、「私」を使っていたが、「まあ、そんなに立派な人間でもないよな」と感じて、「わたし」とひらがな表記に変え、今に至っている。
別に「わたし」を気に入っているわけではない。せいぜい、無難という程度で、もっとその時期の感覚に合うものが見つかったら、変えると思う。
よく誘惑されるのが、「おれ」だ。
あ、いや、「うっふ〜ん、寄ってらっしゃ〜い」などとあちこちで誘われるわけではない。
「おれ」という言い方に変えようかどうしようか、迷うことがある、という意味だ。
「おれ」のいいのは、ざっくばらんなところだ。正直にも見える(あくまで見えるだけである)。
わたしが頭の中で物を考えるときは、主語として「おれ」を使っている。「わたし」なんていう気取った言い回しで考えているわけではない。
しかし、「わたし(私)」には、読む人なり書く対象なりに対して、ある程度、距離を置いている感覚がある。その感覚をおもちゃにしてあれやこれやと書くのも、冗談にしやすくて、気に入っている。さて、どうすんべか。
そんなこんなで、千々に心乱れる三十郎。もっとも、もうすぐ四十郎ですが。
わたしがわたしでなく、他の何かに変わったら、そのとき、わたしの感覚はすでにわたしでなくなっているのだ。
オッパイに手を当てて、そう考えるおれ。わっかるかなあ〜。
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「今日の嘘八百」
嘘二百六十三 道路工事をしている男が一日の仕事を終え、家でヘビメタを聴いていたら、女房から「家庭に仕事を持ち込まないで」と怒られた。