つまらぬ意地

 今日は「おれ」を主語にして書く。


 ここのところ、バッハをよく聴いている。


 最初は、「J.S.バッハ・カタログ」(ASIN:B00005FIRR)というCDを他と間違って買ったことから始まった。


 買ってしまったんだから、ま、一応、聴いてみっか、とかけてみたら(CDも「かける」でいいのかね?)、バッハの有名曲100曲を、各曲かっきり45秒ずつ流す、というまさに「カタログ」であった。


 これが案外に心地よく、仕事しながらBGMとして聴いていた。いくつかとても美しい瞬間があり、CDについている表で曲を調べ、新たにその曲の入っているCDを買った。
 まあ、CDを企画した側の作戦(ダイジェストを聴かせて芋蔓式にCDを買わせる)に見事にはめられたわけで、いささか悔しいが、負けを認める。


 しかし、バッハを聴くということは、おれとしては別の意味で悔しいことでもあるのだ。
 このロケンロールでソウルフルでスウィンギーでブルージィーで火の玉ロックでトウェンティ・センチュリー・ボーイでファンキー・チキンでフーチー・クーチーなおれさまが、バッハをヨロコぶとは何事だ、というわけだ。


 いや、J.S.バッハとかいう人が大昔にいて、何やらリッパな音楽を作ったそうだ、というくらいは知っていた。
 いくつかの曲も聴いたことがあるけれども、数学の授業を受けているか、上品な趣味の方々が「素晴らしいですわねえ」、「そうですわねえ、オホホホ」と、半ば聴いている自分に陶酔しながら聴くもののように感じて、ケッ、と思っていた。


 つまらぬ意地だということはわかっている。


 しかし、盗っ人にも三分の理なのである。