昭和歌謡曲を聴く〜圭子の夢は夜ひらく

「圭子の夢は夜ひらく」は1970年に当時18歳の藤圭子が歌って大ヒットした歌である。
 おれは当時まだ3歳で、残念ながらテレビなどで見た(聴いた)覚えがない。まあ、その頃は「アイアイ」かなんかで狂喜乱舞していた人生のコストパフォーマンス最高の時期であるからして、仕方ないであろう。
 おれが「圭子の夢は夜ひらく」を「発見」したのは中学のときである。
 その頃、おれはフュージョンにはまっていて、ギタリストでは渡辺香津美が好きだった。おばさんが「もういらないから」と中古のガットギターをくれ、「フッフッフ。これでおれも渡辺香津美になれるぜ!」とさまざまな次元で勘違いし、ギターの教則本を買ってきた。最初のほうでフレットや音階を覚え、曲のページに入ると、そこに載っていたのは「五木の子守唄」や「サントワマミー」だった。ポロポロとメロディをつま弾いてみて、ようやくおれは「何かが違う」と気がついた。
 その勘違い教則本に載っていたのが「圭子の夢は夜ひらく」だったのだ。楽譜の下にある「十五、十六、十七と、あたしの人生、暗かった」という歌詞を読んでおれは驚愕した。そんなストレートで強烈な歌詞に出会ったことがなかったのだ。
 藤圭子の歌唱を聴いてみよう。

 いつ頃の歌唱だろうか。デビューからしばらく経ったあたりかもしれない。
 ともあれ、美女である。そして、ドスに凄みがある。暗くハスキーな声、ハスッパな巻き舌。こんな十代の歌手が出てきたら、それは世間も衝撃を受けるだろう。実際、デビュー直後に藤圭子は大ブームを巻き起こし、ファーストアルバム、セカンドアルバムは計37週連続1位(約10ヶ月間である)。この記録は未だ破られていないそうである。
「夢は夜ひらく」には非常に多くのバージョンがある。都築響一の「夜露死苦現代詩」によれば、JASRACには歌詞の異なる「夢は夜ひらく」が32曲(!)も登録されているという。元々は作曲の曽根幸明が十代の頃、練馬の少年院(いわゆるネリ鑑)でギターをぽろぽろ弾いて作った歌に、同房の仲間達がいろんな歌詞を載せていったのだという。
「夢は夜ひらく」が最初に大ヒットしたのは、1966年の園まりバージョンである。

 司会が「男性の心をトロトロに溶かす新兵器登場!」とシビレる紹介をしているように、園まり、色っぽい。美しい。内容は恋の歌である。それもOL(当時はBGと言ったか)や女子工員の恋ではなく、夜の女、ホステスの恋であり、相手の男はひとりである。
 藤圭子バージョンは恋の歌ではなく、怨み節である。己の暗い人生への怨みと冷めた眼とわずかな慰めである。園まりの場合、「夢は夜ひらく」はほぼ言葉通り、夜の夢の中で(のみ?)恋が成就する、という哀しくもソフトなイメージだ。一方、藤圭子の場合はいきなり出だしが「ケシの花」であり、複数の男との性的関係を暗示する歌詞も出てくる。「圭子の夢は夜ひらく」の夢とはずばり性の快感のただ中のことではないか、あるいは「圭子の花(びら)は夜ひらく」と言い換えてもいいのではないか、と想像してしまう淫靡なニュアンスがある。
 園まりが男にもたれないと生きていけない昔ながらの「弱い女」のステレオタイプを歌っているのに対して、藤圭子は傷つけられ、爛れながらも、その目は強いものを宿しており、自立した精神を感じさせる(「馬鹿にゃ未練はないけれど 忘れられない奴ばかり」)。藤圭子の歌を聴いてしまうと、園まりバージョンは甘ったるくて(何せ、トロトロに溶かすのであるからして)、まともに聴けない感じである。“ホントの不幸、あんたにわかる?”、当時、藤圭子の凄みは園まりの甘さをぶっ飛ばしたのだろう。
 最後に、三上寛の「夢は夜ひらく」。この歌のパワーと説得力には、しかし、藤圭子も軽くスウィープされてしまう。凄い。

夜露死苦現代詩 (ちくま文庫)

夜露死苦現代詩 (ちくま文庫)