と、予防線を張ったうえで、これからわたしは単純かつ安易な話をしてしまうのである。
あらかじめ「そこらのことはわかっておるのだ」と断っておくのは、よくある文章のテクニックだ。ま、セコい手である。
さて、こういう人々が並んでいる場合、いったい、どう考えればいいのだろうか。
いずれも、富山県出身の芸能人で、少なくともわたしは、似たにおいを感じるのである。
まず、いずれもそれぞれの道では実力者で、根は真面目である(おそらく)。
笑わせるのは得意だが、あまりスマートな笑いや粋な笑いではない。少々、垢抜けない笑いだ。
当人達の容姿、身のこなしはもっと垢抜けない。
笑わせ方には、自虐〜道化的な面がある。
真面目であることと裏腹だと思うのだが、実力者ではあっても、突き抜けたもの凄さは感じられない。よくも悪くも、中くらいのところでまとまってしまう。
どこか自分の生まれ育ち、田舎くささにコンプレックスを感じている。
以上は、彼ら・彼女らから共通点を引き出してみたのだが、芸能人に限らず、富山県出身者にしばしば見られる性質のように思う。
もうひとつ付け加えれば、美男美女があまり出ない、というのも富山県の特徴で、そういう意味では、わたしはかなり特殊な例であるらしい。