「させていただく」という言い方は、本来、相手の許可なり恩なりを得て自分が何かをするとき、使うらしい。
先の落語の例でいえば、「(お客様がこうやって寄席にお越しくださるおかげでアタクシも噺家稼業ができるわけでして、ありがたくこのように)話をさせていただいておりますが〜」というような、長ったらしいリクツが隠れている。たぶん。おそらく。もしかしたら。
しかし、特に相手の許可なり恩なりを得ているわけでなくても、「させていただく」という言い方をする人がいる。
「それでは、会を始めさせていただきます」
この場合、別に出席者から会を始める許可を得たわけでも、恩義を得たわけでもない。
そういう点の気になる人が「敬語の乱れだ、安易なへりくだりだ、とりあえずそう言っておきゃいいと思ってんだろ」と、なじるようである。
リクツの立て方しだいでは誤用になるのだろう。
しかし、わたしはちょっと違うふうに捉えている。
ここに登場するのが、「お天道様」というありがたいお方だ。
いや別に、「全能の神様」や、「世間様」でもいいのだが、とにかく、自分をこうやって生かしてくださっている、あるいは、今ここ、この場所でこうやって何かをできるようにあらしめてくださっている、ありがたーい、お方or何か。おおげさに、ムツカしく言えば、「世界全ての成り立ちと作用」のようなもの。
そういうものの「おかげがあって、数ならぬ身のワタクシがこのようなことをさせていただく」と、まあ、天への感謝とでも言うんですか、そんな感じ方が無意識のうちに表れているのではないか、とそのように考えて、今ここ、この場所でこのように書かせていただいているわけでありますです、ハイ、ございます。ヤー。