敬語

 わたしは、文章を道具に商売している割には敬語の使い方に無頓着で、よく言われる「敬語の乱れ」というものがあまり気にならない。


 まあ、ひとつには「勝手にやっちょれや、この愚民どもめが」と人を一方的に蹴落とす卑しい根性があるからで、内心、自分から勝手に偉くなる、という安易な手口を使っているわけだ。


 もっとも、これはあくまで内心の話であって、人に対するときはきわめて低姿勢である。


 道ですれ違う人にも「いやいや、おかげをもちまして、このように何とか生かさせていただいております。ああ、ありがたや、もったいなや」とひたすらに腰を低くして、中腰で歩いている。
 最近は面倒なので、いっそ土下座しながら膝をにじらせて歩こうかしらん、と考えているくらいである。


 あ、ハイ。そんなことはどうでもよいですね。


 エー、「敬語の乱れ」についてだが、例えば、よく槍玉に挙げられるものに「させていただく」というのがある。



させていただくを槍玉に挙げる


 これについて書かせていただこうと思わさせていただくわけであるが、「させていただく」という言い方自体はかなり前からある。
 昔の落語の録音を聞いても、よく出てくる。


「エー、このように一段、高いところから話をさせていただいておりますが〜」


 なんて具合だ。