「そこに山があるから」という有名な言葉がある。
登山家のジョージ・マロリーの言葉だそうだが、登山に興味がないので、どういう人なのかよく知らない。
世間では、名言だ、さすがマロリーだ、やるねえ、ヒューヒュー、ということになっているようだが、さて、どうなのか。
ここに、ひとりのサラリーマンが登場する。彼は――。
そこに目覚まし時計があるから目が覚めた。
そこに朝飯があるから食った。
そこに女房がいるから無視した。
そこに大小便があるからトイレに行った。
そこに洗面所があるから顔を洗った。
そこにスーツがあるから着た。
そこに靴があるから履いた。
そこに駅があるから歩いた。
そこに電車があるから乗った。
そこに会社があるから行った。
そこに机があるから座った。
そこに仕事があるから仕事した。
そこに昼飯があるから食った。
そこに人目があるから仕事した。
そこに定刻があるから退社した。
そこに飲み屋があるから飲んだ。
そこに電車があるから乗った。
そこに家があるから帰った。
そこに女房がいるから電話くらいしろと怒られた。
そこに風呂があるから入った。
そこに着替えがあるから着替えた。
そこに歯ブラシがあるから歯を磨いた。
そこにベッドがあるから入った。
そこに女房がいるからさてどうするか思案のしどころだ。
そこに明日があるから眠った。
と、そこに〜があるからの長い、長い連なりが人生なのだ。
――のかどうか、本当はあまり深く考えていないのだが、ま、こういうことは言い切ってしまえば、勝ちである。
そもそも、我々が生まれてきたのは、そこに世界があったからである。
深いぜ。
何となく。
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「今日の嘘八百」
嘘二百六十一 そこにキーボードがあるから書いている。