2006-01-01から1年間の記事一覧

真紀子節

この頃、道路特定財源に関連して、テレビに、日本列島改造計画を唱えていた頃の田中角栄の映像がよく映る。 演説するシーンには、もう何十年も前の映像なのに、つい見入ってしまう。 この人はカリスマだったんだなあ、とつくづく思う。 田中角栄は、好き嫌い…

漠とした全体

「個人的には」の他にも、漠とした全体に対する遠慮、不安、恐れが感じられる言い回しがある。 いろんな人のブログを読んでいると(残念ながら日本語のものしか読めない)、そういう言い回しによく出くわす。 「正直言って」、「ちょっと変ではないか」、「…

個人的には

和をもって貴しとなす、というのが、古来、ニッポン人の道徳とされてきたそうなのだが、いい悪いはちょっとわからない。ケース・バイ・ケースではないか(便利な言葉である)。 ただ、全体のことを割と気にするとか、あまり波風を立てないようにするという、…

わたしと作文〜その7

わかりやすい文章を書けるようになるには、次の3つが大切だと思う。 ・量を書く。 ・書いたものを、自分が読むのではなく、他人が読んでいる気持ちになって、読み返す。 ・わかりにくそうなところがあったら、直す。それもしつこく。 特に二番目がコツだと思…

わたしと作文〜その6

転職して、専門誌の編集部に入ったのだが、文章の書き方について編集部の誰かに教わったことはない。 全体に惰性の香り漂う編集部で、生意気な言いようだが、シロートのわたしからしても、そんなに文章の上手い人はいなかった。 ただ、自分で取材して書く機…

わたしと作文〜その5

大学を卒業して普通に就職したのだが、やがて文章でオアシを稼ぎたいと考えるようになった。 なぜそんなことを思い立ったのか、今考えるとよくわからない。 何かを書くと言ったって、せいぜいワープロを買って、暇なときにぽちぽち打っていた程度ある。 わた…

わたしと作文〜その4

本は好きだったが書くほうに興味がなかった、というのは、音楽は聞くけれども演奏はやらない、というのと同じかもしれない。 読むと書くは、別の話だ。 初めて自分の意志で文章を書いたのは、社会人になってからである。 ワープロを買って――ええと、若い人の…

わたしと作文〜その3

昨日、小学校の時分は、原稿用紙三枚の作文を書くのに難渋した、という話をした。書くことが三枚分も見つからなかったのである。 考えてみれば、「本を読んだ感想を原稿用紙三枚に書きなさい」と言われたら、こうすればよかったのである。 まるで一休さんの…

わたしと作文〜その2

普通の作文以上に手強かったのが、読書感想文である。 読んだ本の感想を書け、というのだが、これが難しい。 だいたい、今だって、よほど興が乗らなければ、本の感想なんてロクに書けやしない。小学生に無茶な要求をするものである。 わたしも含めたガキども…

わたしと作文

わたしの作文歴について記そうと思うのだが、以前にも書いたことがあるようなないような。 過去を振り返らない男なので、思い出せない。 と言いつつ、いきなり力いっぱい小学校方面を振り返ってしまうわけだが、作文で褒められた記憶がない。 そんな人間が、…

ブログを続けたい人に

わたしの場合、この日記をほぼ毎日書いているのには、特殊事情もある。 隠し事、じゃなかった、書く仕事は家でやっているのだが、何せ、仕事だからして、やりたくはない。 サラリーマンなら職場に行けばアキラメもつくのだろうが、家だとずるずるしようと思…

書く習慣

ほぼ毎日、こうやってタワゴトを書き飛ばしていると、「よく毎日書けますね」と言われることがある。褒められてるのか、感心されてるのか、はたまた馬鹿にされてるのか。 わたしからすると逆で、毎日書くことにしているから書けるのであって、「書きたいとき…

天国と地獄

ヒエロニムス・ボス(ボッス、ボッシュ)の「快楽の園」という有名な絵がある。 ・WEB美術館 - 快楽の園 いやはや、とんでもない絵である。 16世紀の作品だそうだが、そんな昔に、よくこんなものを描いたものだ――などと考えるのは、「現代のほうがススんでい…

ネガティブ大相撲

などと、真面目なことを書くふりをしながら、わたしが書きたいのはもっとくだらないことなのである。 相撲の決まり手をネガティブにしたらどうなるか。これである。 決まり手というのは、基本的に勝ったほうが主語になる。たとえば、「寄り切り」は、「勝っ…

ポジティブ/ネガティブ

ポジティブ、ネガティブという言葉があって、主に人の態度や物の見方について使われるが、言葉にも、ポジティブな言い方、ネガティブな言い方があるようだ。 いきなりシビアな話題になるが、自殺。いわゆるスーサイド。別に英語で言うことはないか。 あれに…

マルクスの人々

わたしが大学に入ったのは1980年代の半ばだ。 当時はまだソ連や東欧に社会主義政権が残っていた頃で、今ほど、マルクス主義は落ちぶれていなかった。 授業でも、マルクス経済学を教える先生が結構いた。 大学の先生になるくらいだから、理屈は得意だったろう…

理屈

この日記では、理屈を、しばしば「リクツ」と書いている。 わたしが理屈というものに今ひとつ信用を置いてないからだ。 昔はそうではなかった。 何しろ、この世に生まれ出るとき、ポアンカレ予想を証明する数式を口ずさみながら出てきたというくらいで、驚い…

日本の危機

とまあ、前置きが長くなったが、別に「戦後政治の検証」をしたいわけではない。ええ。身の程はわきまえております。 わりかしカンタンに――つまり、周りとしてはそんなに困らずに、我がポンニチを困らせる方法がある。 昨日も少し書いたが、醤油止め。味噌止…

経済制裁

経済制裁というのがあるが、あれは、する側はさほど困らないが、される側は困る場合にやるもんなんだろう、と思う。 例えば、何かと毎度お騒がせのK国。 あそことの貿易をよしても、日本は松茸や朝鮮人参が高くなるとかその程度だろうが(ヤだのボだのの方面…

物断ち

これまでに物事を断つということをしたことがない。 物を断つほど何かを強く願ったこともなければ、物忌みをするほどの信心もないということだと思う。 まあ、ごく無駄に生きているわけである。 断つと言えば、酒を断つということがまず頭に浮かぶ。 最近は…

無駄念力

しかしね、あたしゃあ、あえてここで念力を持ち出したい。 いや、物を浮かしたり、スプーンを曲げたりするには、強力な念力がいるよ。普通の人間はそんなもの持っていない。 しかし、人間にはわからないくらいの地道さで、棚の上の物をにじりにじりさせるく…

物はなぜにじるのか?

何もしてないのに、棚から物が落ちることがないだろうか。 わたしには時々ある。 別に地震があったわけでも、近くで工事が行われているわけでも、ダンプカーが通ったわけでも、風が吹いたわけでもないのに、本やら薬の箱やらポケットティッシュやらが落ちる…

魁皇、北桜

長年、大相撲を見ていなかったのだが、今年の夏くらいからちょぼちょぼ見ている。 今場所の前半の盛り上がりをもたらした一番手は何と言っても、魁皇だった。そうして、後半の盛り下がりの一番手も、やっぱり、魁皇だった。 年齢を見ると、魁皇は貴乃花と同…

仕草、言葉遣いを取り出す

たまに、テレビなどで、落語家が仕草を演じ分けてみせることがある。 たとえば、うどんを食うときはこうだが、そばを食うときはこう、とか。 それ自体は別にいいのだが、司会者なんかが「落語ってすごいんですねえ」などとわざとらしく感心してみせると、ン…

落語

相変わらず、落語をよく聞いている。 CDから携帯音楽プレーヤーに落として(関係ないけど、なんで落とすって言うのかね?)、電車の中などで聞いている。 満員電車だと本を読むのは難しいし、まわりの迷惑になりかねないが、携帯音楽プレーヤーなら問題ない…

この国の世界

少し前に、バッハを「音楽の父」と呼ぶのは西洋音楽の傲慢(正確には、西洋音楽側に立ってそう呼ぶ人の傲慢と浅はかさ)で、他の音楽に対して失礼だと書いた。 日本人=農耕民族、欧米人=狩猟民族という論の立て方にも、似たところがある。 これ、真面目な…

この国の外国

日本人=農耕民族、欧米人=狩猟民族という論の立て方があって、あまりにも馬鹿馬鹿しいと思うのだが、なぜだか廃れない。 話を第一次産業に限ったとしても、ヨーロッパでは随分昔から農耕、牧畜が行われていたろうし、ゲーム的なものを入れても狩猟が農耕、…

欧文の多用

日本人の英語の読解力は、平均値を取ると、かなり心もとないだろう。 しかし、心もとない割に、英語やフランス語の単語や文章が氾濫している。広告、商品パッケージ、看板などに、しばしば、さして必要がないのに使われる。 今、「心もとない割に」と書いた…

江戸っ子の英語

あたしゃあ、こう見えてもチャキチャキの江戸っ子だ。 江戸っ子にしちゃあ垢抜けないって話もあるが、裏日本出身の江戸っ子ながでね。江戸の言葉は通信教育で習ったクチだ。ま、しょうがねえやな。 で、だ。 ちいと考えたんだが、江戸っ子が英語を習うとどう…

肉まんピアニスト

日曜の夜にテレビをつけたら、東アジア系の若いピアニストが、オーケストラをバックに演奏していた。 ピアノを弾きながら体を大きく動かし、表情が百面相的に変わる。 何だ何だ、と思わず見入ってしまった。 突然目を剥いたり、眉根を寄せたり、鍵盤にへばり…