物断ち

 これまでに物事を断つということをしたことがない。


 物を断つほど何かを強く願ったこともなければ、物忌みをするほどの信心もないということだと思う。
 まあ、ごく無駄に生きているわけである。


 断つと言えば、酒を断つということがまず頭に浮かぶ。


 最近は酒を飲まない日も結構あるのだが、これは別に断っているわけではない。


 わたしは酒が体によほど合うらしく、飲むと、ふわーっといい心持ちになる。
 ジジイになって、どうやらこれは助からないという状態になったら、点滴にアルコールを混ぜてもらいたいぐらいだ。極楽往生というのは、あるいはそういうことではないかしらん、とすら思う。


 一方で、毎日飲み続ければ、いずれ内臓か脳がイカれて、飲めなくなるんじゃないか、という心配もある。


 吾妻ひでおの「失踪日記」に、アル中になった吾妻ひでおに対して、医者が、治療しても元に戻ることはない、キュウリの漬け物が元のキュウリに戻ることはないのと一緒です、というようなことを言うシーンがあった。
 これはわたしにとって、衝撃的なセリフであった。


 それは困る。できれば、死ぬまでふわーっとしたいい心持ちは味わいたい。


 かくして、「飲まない日」なるものを設けることにした。
 意地汚いというか、ナサケナイというか。我ながら、さすがに裏日本出身の江戸っ子、通信教育で学んだクチだけのことはある、と思う。


 飯を断つ、というのは、古今東西、メジャーな物断ちだ。収容所なんかでもよく行われるようである。
 しかし、これはそういう劇的な状況だからこそ似合うわけで、ハナクソほじりながらのつそつしている男がやることではない。


 他には、茶断ち、塩断ち、なんていうのもあるそうだ。
 あるいは、風呂断ち。何だか、バッチイ。


 大半の日本人にとって、もっとコタえそうな物断ち、やろうと思えば簡単そうだけど、できそうでできなさそうなやつを思いついた。


 醤油断ち。


 これである。もちろん、うどん・蕎麦の汁の類や、隠し味も御法度。
 三日もたてば恋しくなり、一週間あたりで精神に変調をきたし始めるのではなかろうか。


 外国に行っているときとは違って、なまじい、身の回りに普通にあるだけに、キビしいものがあると思うよ。


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「今日の嘘八百」


嘘二百九十一 リンゴが落ちるのを見て、万有引力についてのインスピレーションを得たニュートンだったが、次の瞬間、頭の上にリンゴが落ちてきて、全てを忘れてしまったという。