わたしの作文歴について記そうと思うのだが、以前にも書いたことがあるようなないような。
過去を振り返らない男なので、思い出せない。
と言いつつ、いきなり力いっぱい小学校方面を振り返ってしまうわけだが、作文で褒められた記憶がない。
そんな人間が、今は文章を書いてオアシをいただいているのだから、考えてみれば、不思議である。
小学校の作文なんてその後とあんまり関係ないのか、それともヘタクソな文章でもアオシをいただけるほど、世の中、甘いのか。
できれば前者であってもらいたいものだが――いや、後者のほうがチョロくていいのか。
ともあれ、小学校時代は作文が得意でなく、好きでもなかった。
確か、コクヨの茶色い四百字詰め原稿用紙に書かされたと思うが、マス目を埋めるということがとにかく苦痛だった。まあ、これは今の仕事でも変わらない。
三枚書け、と言われて、原稿用紙半分、二百字くらいで終わってしまい、ニッチもサッチもルイ・アームストロングになってしまうことがよくあった。
今なら、もし二百字で終わったとしても、慌てることはないだろう。残り千字はこうすればいいのだ。
ぼくは遠足が楽しくて、笑いました。
「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは(後略)」
生きていれば、いろんな手練手管を覚えるものである。
もっとも、センダンはフタバの頃からの卑怯者であるからして、小学校時代も、これと大して変わらないコソクな手段でマス目を埋めていたのだろうが。