天国と地獄

 ヒエロニムス・ボス(ボッス、ボッシュ)の「快楽の園」という有名な絵がある。


WEB美術館 - 快楽の園


 いやはや、とんでもない絵である。
 16世紀の作品だそうだが、そんな昔に、よくこんなものを描いたものだ――などと考えるのは、「現代のほうがススんでいるに違いない」と16世紀を馬鹿にする、現代人の傲慢か。


 絵は3つに分かれている。
 左がエデンの園、中央が淫欲の罪、右が地獄だそうだ。


 たいていの人が地獄になぞ落ちたくないと考えているだろう。わたしだって、そうだ。
 しかし、絵として地獄が一番魅力的に見えるのはなぜだろうか。


 中央も楽しそうだ(わたしがスケベエだからだろう)。左のエデンの園は平穏ではあるが、右の2枚ほど魅力的な場所には感じられない。


「快楽の園」を離れても、地獄の絵というのは、だいたい、刺激的で、コーフン的である。


 教訓として「こんなひどい目に遭いたくなければ、悪いことをするな。正しく生きよ」ということを伝えているんだろうけれども、わたしは愚か者だからか、「ワオ! ここでこんな目に遭ってる。うひゃー」などと、面白がってしまうのである。


 自分が暴力を受けるのは嫌だけれども、バイオレンス映画をコーフン的に喜ぶのと同じかもしれない。


 逆に、天国、極楽の絵で、魅力的なものに出会ったことがない。覚えているものすら、ほとんどない。


 天国、極楽は、そこの住人として生まれ変われば、あるいは平穏無事で心安らかにいられることを喜べるのかもしれない。
 が、しかし、現世で汚辱にまみれてコーフン的なものを喜んでいるこの愚か者は、「蓮の葉っぱの上で雨蛙みたいなことになってもなあ」などと思ってしまうのである。


 こんなこと書いたら、地獄に堕ちるのかな。クワバラ、クワバラ……あれ、な、何するんですか?! ちょっと、どこ連れてくんですか?! わーっ!!


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「今日の嘘八百」


嘘二百九十五 今日で、二百九十五回、舌を抜かれることになりました。