納得いかない食べ方

 食べ物の好き嫌いというのは議論してもほとんど意味がなく、せいぜい、どこそこの店の何を食べれば認識が改まるヨ、と(いささかお節介な)アドバイスをするか、後は相手の口を無理矢理こじあけてドンブリ三杯分流し込むしか、解決の手だてはなかろうと思う。
 快楽の問題であるからして、リクツではどうにもならんのよね。


 ――と、予防線を張っておいて(つまり、反論は認めぬ、ということだ)、わたしの好き嫌いを書く。食べ物それ自体というよりも、食べ方の問題である。


 酢豚に入っているパイナップルが納得いかない、という人は多いようで、わたしもそうだ。
 甘みが増すとか豚肉がやわらかくなるとか言われても、いいヨ、甘みなんぞ増さなくたって、豚肉が硬くたって、と思う。
 だいたい、甘きゃいい、やわらかきゃいい、というもんではないだろう。


 それより、「おお。肉だ」と噛みしめたときの、肉の脇かなんかに隠れていて、ぐにゅっとつぶれるパイナップルの甘ったるさのほうがよほど問題だろう。せっかくの肉の塊が、おかげで丸一個、台無しだ。


 パイナップルよ、去りなさい。


 同じ伝で、唐揚げとか、サンマにレモンを絞るのも、どうにかならんか、と思う。


 サンマはまだ全員でつまむということが少ないからいいが、居酒屋なんぞで唐揚げを頼むと、いきなり、全体にレモンをかけるヤツがいる。
 やめろ、レモンは果物だろう、と思う。かけたければ、自分の小皿にとってからかけろ。


 しかし、そんなことで喧嘩するのも大人げないし、波風立てるのもイヤな、穏便な日本の私であるからして、“ああ、もうその唐揚げ、食わねえ”と内心固く決意して、ただ黙って酒を飲む。ただ、眉間のあたりに不穏な縦ジワが寄っているかもしれない。


 あれは、スダチとかユズを絞る流れなんだろうが、どうもねえ。おかずに柑橘類が入り込む、というところに納得がいかない。意外に封建制度なわたし。


 柑橘類よ、去りなさい。


 お好み焼きにマヨネーズ、というのも納得いかない。そんなにカロリー高めてどうするのかと思う。そもそも、お好み焼きの味にマヨネーズって、うまくとけ込まないように感じるのだが。


 これまた、お好み焼きにいきなりマヨネーズをかける馬鹿(と、もう決めてしまった)がいる。
 受動喫煙は問題になるのに、なぜ受動マヨネーズは問題にならないのだろうか。厚生労働省は何をしているのか。


 マヨネーズを好きな人というのは大変なもので、凄いのになると、ご飯にかけて食べるという。


 そういう話を聞くと、人間、話せばわかるというのは大きな間違いだと思う。根本的解決というのは不可能で、せいぜい、お互い、何とかうまくやり過ごす地点を見つける、というのが、食べ物問題と民族問題の落としどころではないか。


 マヨネーズの話がエラいところに行ってしまった。


 まあ、いい。マヨネーズも、去りなさい。


 最後は、スイカに塩、である。あれも納得いかない。


 甘みが増す、と言うんですがね。別に素の甘みで十分、と思う。それより、やっぱ、塩かけたら、しょっぱいだろうが! このバカタレが!!


 いやまあ、コーフンしすぎたが、やはり、いくら甘みが増したって、しょっぱいものはしょっぱい。スイカに塩なんざ、いらねえ。


 あの塩をかけるというのは、昔のスイカが今ほど甘くなかったからか、あるいは、昔は甘いものがなかなか手に入らず、甘いということに過剰なほどに価値を置いた名残りではないか。知らんけど。


 塩よ。あなたも、去りなさい。あ、いや、スイカからだよ。手元には、いつもいてくれなければ困る。


 ここまで書いてきて、自分の狭量さに唖然としている。実は昨日、レモンのせいで、唐揚げを食い損ねたのだ。

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「今日の嘘八百」


嘘七百二十一 酢豚にパイナップル、唐揚げにレモン、お好み焼きにマヨネーズ、スイカに塩が納得いかない人々よ。わたしが政権を握るまでの辛抱だ。