痛がりの人

 ふと思ったのだが(って、そんな話ばかり書いているが)、痛いとなぜ声を出すのだろう。


 例えば、部屋の中を歩いていて、タンスのへりとか、戸の脇の柱に足の小指をぶつけると、「痛てっ!」とか、「ンゴガグググ」と言葉にならない声とかが出る。


 あれって、何か意味があるのだろうか。


 人に知らせたいというわけではないだろう。あれは“思わず”出るものだ。


 苦しいと唸るのは、人間だけではない。水牛だって、サイだって、唸る(と思う)。これ、何か、進化論的に――というそのココロは、何かそれなりの意味があって、痛いと唸るようになったのか。


 それとも、あまり意味はなく、“たまたま”神経がそういうふうにつながっちゃったのか。
 でもって、それが大脳皮質のいささか無鉄砲な拡大により、言語中枢ともくっついちゃって、我々は人類ウン百万年の歴史を背負い、タンスにぶつけた足の小指の感覚を「痛てっ!」と表現するのだろうか。


 今日もまた、答を出せないようです。無念です。


 話は変わるが、痛がりの人って、いますよね。


 友人が入院したとき、同じ病室に痛がりの人がいたそうだ。


 とにかく、ものすごく痛いのを怖がる。医者が注射しようとすると、
「先生、痛いですかね? 痛いですかね? 痛いんですよね? あ、あ、あ、あ、痛っ!」
「まだ注射してませんよ」
 と、ほとんどコント状態だったそうで、病室の人々は笑いをこらえるのに必死。
 身をよじると、それが各人の痛いところに響いて、まったく往生したそうだ。

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「今日の嘘八百」


嘘七百二十 怪人二十面相が“本当の自分”を探しに、旅に出たそうだ。