当て字の文化

 知らなかったのだが、「くだびれる」という(わたしの人生をよく表す)言葉は「草臥れる」と書くのだそうだ。


 おそらくは当て字だろう。くたびれて、くたびれて、コリャどもならんと草の上に寝転がるのだろうか。きれいなような、しんどいような表現である。


「可愛い」という表記も、元々は当て字だそうで、漢文読みするなら、「愛ス可シ(べし)」である。
 赤ちゃんを見て、「かわいい」と思うそのココロは、まさに「愛ス可シ」。よくできた表現だと思う。


 もっとも、「かわいい」には「可哀い」という古い表記もあり、こっちは哀れに思うのだから、可哀想たァ惚れたてことよ、だろうか。ちょっと違うか。


 この手の当て字の名作は、いささか手垢にまみれているが、「五月蠅い」で、確かに旧暦五月(今の六月、梅雨時頃)はいかにも蠅がうるさそうである。


 当て字といえば、現代で最もよくその文化を守っているのはご存じ暴走族の人々で、本気と書いてマジと読む、なんていうのを手始めとして、日夜努力を重ねているようだ。
「家有借金」と書いて、「ホームアローン」と読ませるのだそうで、これなぞ傑作だと思う。いい洒落だ。


 今、「洒落」と書いてみて気づいたのだが、駄洒落と当て字は対称のような関係にあるようだ。


 駄洒落    当て字


  音     意 味
 / \    / \
意味 意味  音   音


 駄洒落が1つの音に2つの意味を持たせるのに対して(内容がないよう、とか)、当て字は1つの意味に2つの音(読み)を当てる(ほんき、と、まじ、とか)。


 いや、だからどうした、と言われても困るが。


 歌舞伎のタイトルも当て字が多い。


「盟三五大切」(かみかけてさんごたいせつ)、「隅田川続俤」(すみだがわごにちのおもかげ)、「青砥稿花紅彩画」(あおとぞうしはなのにしきえ)とか、ちょっと読めない。


「盟三五大切」なぞ、「三五」(登場人物の名)のところに愛しいレディスの名前を入れ、「盟桃子大切」(かみかけてももこたいせつ)などとすれば、暴走族の間でも立派に通用するんじゃないか。


 考えてみれば、万葉のはるか昔、和語に漢字を当てた時点で、日本における当て字の歴史は始まったわけで、歌舞伎と暴走族はその文化を今に蔦上手病友米国名門大学(つたえているともいえる)。

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「今日の嘘八百」


嘘七百八十九 天然痘ワクチンを少年に注射してみたジェンナーは、要するに自分に注射するほどは、勇気と信念がなかったのである。