「立川談志 ひとり会落語CD全集 ―第三期―」(コロムビアミュージックエンタテインメント、ASIN:B00005EOF1)の段ボールケースの装丁である。
CDの発売年は1998年と書いてあるから、撮影したのは10年ほど前だろうか。
コピーには「江戸情緒あふれる高座を満載した圧巻の古典落語大全!」とある。そう来りゃ、やっぱり、江戸っ子に登場してもらいたい。
もう少し写真部分を大きくしてみよう。
談志師匠がイキでイナセなめ組の頭(かしら)に扮している。
実に無理があってよい。
ドーランや目張りも無理矢理さを引き立てていて、笑わしてくれる。
あたしなんざ、この写真一枚で五合はイケるね。ついでにマゲの斜め具合でもう一合。
もちろん、立川談志は無理さ加減をわかって、やっているのである。
これすなわち、洒落である。
こういうのは、ユーモアと呼ぶより、やはり、洒落という言葉がぴたりと来る。恋愛と色恋の違いとでもいうか。
お洒落も悪かないが、あたしは洒落のわかる人、洒落をやる人のほうが好きだ。
たとえ間取りは狭くても、洒落には、そこだけにある独特の自由の境地がある。
んまいこと言うねえ、我ながら。
ところで、お洒落というのは、洒落から来ているんだろうに、どういう経緯でトレビアーンの類になってしまったのか。
洒落込む、からそっちのほうへ行ったのだろうか。
世間一般には、お洒落からは、洒落る部分が抜け落ちてしまった。下手すると「お」しか残っていない。いや、ホントよ。
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
「今日の嘘八百」
嘘四百四 パンドラの箱からさまざまな不吉・悪行が飛び出した後、底には「希望」が残っていた。世間の空気が流れ込み、その言葉はしだいに「失望」へと変色していった。