今日の話は落語の好きな人でないと通じにくいかもしれないが、お許しいただきたい。
浄瑠璃というのは、室町後期に物語に節をつけて語ったのが始まりで、江戸時代になっていろいろに発展していったらしい。
義太夫、常磐津、新内、清元、いずれも浄瑠璃の一種。
歌舞伎の後ろで、三味線と「重〜ね〜、重ぁ〜ね〜てェ〜」なんてやってるやつですね。
文楽(人形浄瑠璃)の語りが義太夫で、物語なので、30分から1時間以上というものが多い。
感じだけ紹介すると、こんなふう。
明治大正の頃には、浄瑠璃、特に義太夫が流行ったんだそうで、落語「寝床」(あるいは、「素人浄瑠璃」)は義太夫にとち狂った大店の旦那が、自分が語るのを人に聞かせたくてしょうがなくて、浄瑠璃の会を開くという噺。
ところが、この旦那が下手を通り越して、破壊的な喉の持ち主だから、たまらない。
歌なら2、3分で終わるが、義太夫となると30分から1時間以上、それを何段もみっちり聞かされるのだから、聞いた人は1回で懲りてしまう。中には書き置き残してドイツに逃げてしまった番頭まで出てくる始末(古今亭志ん生バージョン。立川談志バージョンではカムチャッカ)。
誰も浄瑠璃の会に来てくれないので、旦那はふてくされ、長屋の連中には家を空け渡せと迫り、店の使用人には全員暇を出すと宣言する。
これはさすがにマズい、と、人々が恐れおののきながら集ってくる――中には将来のある息子の身替わりに、「今一度、あの浄瑠璃に立ち向かってみる」と決死の覚悟で出てきた森田のお婆さんなんてのがいたりする――というのが、「寝床」のストーリーである。
この噺、いろいろふくらましやすいせいか、噺家によってやり方が違い、それぞれ楽しい。
と、ここまでが前置き(なんと、前置きだったのだ)。
私には、浄瑠璃にまつわる夢が2つあって、1つはこの「寝床」の旦那の、殺人的な実演を聞いてみたい。
もちろん、実際には無理なのだが、「素人浄瑠璃『寝床の会』」なんてのを開いて、噺家の皆さんに「おれはこんな浄瑠璃だったと思う」と競ってもらいたい。どういうことになるのか想像つかないが、ただでは済まないのはまず間違いない。
もう1つは、カラオケ・バーならぬ、浄瑠璃バーというのを開いてみたい。
店にはちょっとしたステージ(床)がしつらえてあって、太棹の三味線弾きが肩衣つけて待機している。
各地から浄瑠璃好き(ただし、横好き)が夜な夜な集まってきて、台帳を繰っては、「私は今日は『卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)』に挑戦してみたい」とか、「では、私は『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』〈まま炊き場〉で、ひとつ、満場を唸らせてみしょう」などと、恐るべき会話を交わすのである。
店の名前は「浄瑠璃バー『寝床』」。扉を開けると、そこはほとんど修羅の住む世界であろう。
あるいは、浄瑠璃ボックスで素人がポッキー囓りながらみっちり語り合う、なんていうのも痰ツボ的でいい。
なお、「寝床」の旦那は、終戦後、GHQに捕捉され、現在、アメリカで軍事目的の研究が進められているという。嘘だという。
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「今日の嘘八百」
嘘七百六十四 米軍の次期制式ライフルに「寝床」の旦那が採用される見通し。