芸は人なり

「森羅万象、是全て芸」であるからして、もちろん、芸人は人間ばかりではない。


 人間でないんなら、なぜ芸「人」なのかという問いは、エーイ、うるさい。黙って聞きなさい。


 エー、動物というのは、わかりやすいですね。


 ナマケモノはぶら下がっていることで受け、たまに驚くようなスピードで泳いでみせて、さらに受ける。枝につかまったままウンコなんかしようもんなら、客席がひっくり返る。


 イルカ、クジラというのは大変に人気があるようだが、個人的にはああいう芸は好きでない。あざといというか、手口がミエミエである。
 世の中のおこちゃま化を象徴するような芸風だと思う。泳いで、跳んで、ピーピー鳴けばいいというものではないだろう。芸をなめている。去れ。と言いたい。


 出落ち、というのか、出てきた瞬間に受けて終わり、という連中もいて、オオアリクイとか、アルマジロがそうだろう。アルマジロなんて、丸くなってナンボである。それだけで食っているんだから、ある意味、尊敬に値する。


 植物のほうに目を向けると、こちらも多士済々。


 桜とか、ヒマワリ、なんていうのは、わかりやすく、また幹の太い芸風だ。
 一方で、野菊、ヒナギクの類も、あまりあからまさまなことはやらないけれども、ふっと気に留めてみると、いい芸を持っている。オオイヌノフグリなんて、名前で馬鹿にしていたら、あたしゃあ、こないだ、とある会で本気の芸を見て、驚いた。


 そういう芸人に出会う、あるいは気づくのは、客の喜びのひとつである。


 では、雑草はどうかというと、これはなかなか難しい。だいたい、雑草というまとめられ方からして、気の毒である。


 ……とは思うものの、オオバコとかセイタカアワダチソウの何を賞味したらいいのか、正直、わたしにはよくわからない。
 芸人は芸を磨き、客は鑑賞眼を磨くベシ、ということかもしれない。

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「今日の嘘八百」


嘘七百六十三 神は世界を七日間でお作りになった後、大いに受け続けているという。