源氏物語を読むと、やんごとなき人々が、やたらとサカっては浮気して、困った状況に追い込まれるのに呆れる。
この人達には学習能力というものがないのかしらん、とも思うのだが、まあ、男と女のことは目の前に来るといかんともしがたい、基本的に人間は馬鹿である、ということなのだろう。これは、今でもそうである。
でもって、この人達、サカっては歌を詠み、嫌よ嫌よと歌を詠み、今でいうストーカー行為を繰り返しては歌を詠み、うれしはずかしと歌を詠み、昔を思い出しては悲しい、悲しいと泣きながら歌を詠む。
何ぞというと、歌を詠むのである。
例えば、光源氏は、最初の正妻、葵の上が亡くなったとき、こんな歌を詠む。
かぎりあれば薄墨衣あさけれど
なみだぞ袖をふちとなしける
わたしに意味なんぞ、聞かないでいただきたい。
註を読むと、「淵」と「藤」を掛けているんだそうで、妻が死んだきに駄洒落なんぞ考えるな! と思う。
ま、しかし、こういうのは、おそらく自然に出たんだろう。少なくとも、源氏物語が書かれた頃の読者(たぶん、やんごとなき人々とその周辺)は、さほど不自然に感じなかったのだと思う。
現代だと、和歌を作るとなると、つい、こう、頑張ってしまう。
風流に仕立てよう、あれをどう詠み込もうか、下の句をどうしよう、恥ずかしくないものにしたい、できれば傑作をモノにしよう、なぞと気張る。
その昔も、そういう見栄・気張りはあったんだろうが、一方で、もっと気楽にやっていたんではないか、と想像する。
今のわたしらが、「アイタタタ」とか、「ヤんなるねー」とか、「何だか泣けてきた」とか、「うわ、恥ずかしい」と漏らすように、ホイ、と歌を詠んでいた。歌を漏らしていた、と言ったほうがいいかな。
子供の頃からずっとそういうふうにしていて、大人になって、いろいろと感情の機微がわかり、使える言葉やたとえの引き出しも増え、何と何を掛ける、なんてことを、わざわざ考えるのではなくクセでやるようになると、源氏物語の人々のようにやたらと歌を詠むようになるのではないか。
今の時代、和歌を「作品」と考えるからいかんのだと思う。芸術作品と考えて作るから、ぎこちなくなったり、技巧めいたりしてくる。
面倒くさいから、遠ざけたくもなり、結果として廃れる。
和歌を「作る」のではなく、日常会話を五七五七七でやったらどうか。これは、わたしが思いついたことでも何でもなくて、昔からそういう考えの人はいるのだけれども。
が、しかし、ちょっと長くなってしまった。
続きはね明日書くので待っててよ
待つと松とを掛ければよかった
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「今日の嘘八百」
嘘四百四十 「インディアン、嘘つかない」と言ったインディアンを、別のインディアンが「『インディアン、嘘つかない』というのは嘘だから、そのインディアンは嘘つきだ!」と怒ったが、それも嘘だった。