一石を投じる

「正しい日本語」の類の話は窮屈だし、たいていツマンないからあまりやらないんだが、今日はひとつ。


 ある本の新聞広告がこんな宣伝文を載せていた。


親として、元予備校講師として、実体験を基に教育を問う! 荒廃する教育界、親たちに一石を投じる。


 教育界に一石を投じるのはともかく、親に石を投げるのはまずいだろう。パレスチナのあたりで抵抗している人達じゃないんだから。


「一石を投じる」という言い回しは、語源を調べたわけではないが、水面に石を投げるイメージから来ているのだと思う。
 石を投げると水面に波紋が広がるところから、「問題を投げかける」という意味になったのだろう。例の、わたしのいっこう当てにならない霊感によるのだが。


 もしそうだとすると、教育界とか、日本社会とか、プロ野球界とか、親たちの「間」に一石を投じて波紋を広げるのはいいが、親たちに石をぶつけるのはいかんと思う。


 ま、親「たち」だから、微妙ではあるけれども。執行猶予付き、といったところか。


 これが、いくらわたしに問題を投げかけたいからといって、「馬鹿の稲本に一石を投じる」などというのはいけない。絶対にいけない。それは迫害というものだ。第一、当たったら痛いじゃないか。



親たちに一石を投じる。


 よい子のみんな。親に一石を投じちゃいけないよ。約束だぞ! 悪い子のみんなも!

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「今日の嘘八百」


嘘四百三十九 花々は、基本的にいかに昆虫にウケるかを競い合って、進化してきた。