不器用な魔法使い

 これまで何回も書いたおぼえがあるけれども、おれはガキの時分から不器用で難渋してきた。

 朝、歯を磨こうとすると、歯磨き粉を歯ブラシに乗せそこなうし、うまく乗せた途端に歯ブラシごと落っことす。服のボタンを止めるのが一苦労だし、鍵穴に鍵を差し込むのに失敗することもある。物をやたらに取り落とすので、部屋の床はガラスと陶器の破片だらけだ。毎日がダイハードである。

 特に困るのが、レジの前で財布から小銭を選り出すときだ。たとえば、十円玉に狙いをつけても隣の五円玉を取り出してしまったり、ふたつつまんでしまったり、つまみ損ねたりする。自分の後ろに列ができているときなぞ、申し訳ないうえに、「さっさとしろよ、このヤロー」的視線を想像してしまって、ますます焦る。挙句の果てに財布ごと落としてしまって、そこらへんに小銭が散乱し、この隙にとばかり陳列台の下にコロガりこむ硬貨なんぞもあって、やんぬるかな。

 物をつかもうとして、どうした加減か、飛んでいってしまうこともある。だから、おれはニュートン力学とやらを信じていない。おれはフォースの持ち主なのか、Xメンなのか。フォースを得た物体は、なぜだかベッドの壁側の隙間や棚と棚の間や冷蔵庫の後ろなど、狭いところへ、狭いところへと飛んでいく。

 これまた何回も引用した覚えがあるけれども、20世紀前半のチェコの作家カレル・チャペックのエッセイから。

(……)その人たちは不器用者と呼ばれ、その人たちの手中にある物はにわかに生き返り、自分勝手でいささか悪魔的な気質を示すことさえできるかのようである。むしろ、その人たちは魔法使いで、ちょっと触るだけで生命のない物に無限の精気を吹き込むのだといえる。わたしが、壁に釘を打ち込もうとすると、手の中の金槌がなんとも不思議な抑えきれない活気を呈して、壁とかわたしの指とか、近くの窓とか部屋の反対側にぶち当たる。小包にひもをかけようとすると、ひもの中にまさに蛇のような狡猾さが突発する。のたくり、手に負えなくなり、ついにはそのお気に入りのトリックだが、わたしの指をしっかりと小包に縛りつけてしまう。

(「不器用者礼讃」より。カレル・チャペック著、飯島周編訳、平凡社ライブラリー「いろいろな人たち チャペック・エッセイ集」所収)

 チャペックやおれが属するこの不器用者という魔法使いの種族は人をしばしば驚かす(そして、自分も驚く)。問題は、この魔法が誰も喜ばせず、役にも立たないことだ。呪いと同じような効果をもたらすことはあるのだが、相手にも自分にも予期せぬ効果なので、ただ迷惑なだけである。やんぬるかな、やんぬるかな。