テレビの2時間推理ドラマの類はずっと見ていない。
もしかしたら、大学くらいから見てないかもしれず、そうすると、かれこれ20年。平成になってから一度も見ていない計算になり、当時生まれた子ども達がもはや大学生くらいの年頃である。関係ないか。
見ていないくせに、というか、見ていないがゆえにか、何となく、ああいうもののラストシーンは、関係者一同が岩壁に集合して、犯人が告白するもの、という印象を持っている。
今でも、ミナサン、岩壁に集合していらっしゃるのだろうか。
集合するものと仮定して、なぜ、岩壁なのだろう?
犯人が告白した後、身投げするのに便利だから、という実用的な理由なのか。あるいは、“瀬戸際”ということのわかりやすい視覚的表現なのか。
刑事デカ(もっとも、2時間ドラマにおける刑事デカという概念は非常に拡張されており、警察とは何ら関係のない人を刑事デカと呼んでもよいことになっている)のほうも、なぜわざわざそういうところに出向くのか、不思議である。
犯人の側から、
白状したいことがあるので、岩壁まで来てください。
かしこ
というような手紙でも届くのか。だとしたら、半ば、身投げします、と言っているようなものではないか。
それで犯人が告白した後、海に飛び込んだら、刑事デカの人の手抜かりというほかない。「あ、しまった!」とか言ってちゃいけないだろう。
かといって、
「……というわけで、あたしが殺しました」
「松島さん、あなた……」
「もういいの、あたし。じゃ」
岩壁の先へタッタッタ。海へピューッ。
「ふっふっふ。こんなこともあろうと、下にはあらかじめネットが用意してあったのだ」
海鳴りに混じって、岩壁のはるか下のほうからかすかに聞こえてくる、「捕まえたぞ」、「わーっ、放せーっ!」。
どこからともなく聞こえてくる岩崎宏美の歌声。
なんていうのも、今イチ盛り上がりに欠ける。第一、岩崎宏美というのが古すぎる。
それとも、関係者一同で犯人を追いつめた結果、たまたま岩壁にたどり着いてしまうのだろうか。
岩壁。
少なくとも、うちの近くにはない。
また、たまたま追いつめたとして、地元の漁師さんや、チューしているセーショーネンの人々がいないというのも、不思議である。もっとも、地元の漁師さんが話に絡んでくると、いろんな意味で厄介だが。
後はどういうところで告白するだろう。ビルの屋上、港、そんなところだろうか。やはり、“瀬戸際”のベタベタな視覚的表現というのが当たっていそうだ。
たまには、手近な児童公園のジャングルジムで告白する犯人がいたって、よさそうなものだが。
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「今日の嘘八百」
嘘七百十九 初めて千円札を見た欧米の人の半分くらいは、「この人は日本の有名なコメディアンか何かだろうか」と考える。