インチキくさいけど大した人

 昨日、テレビをつけたら、夜のワイドショーみたいな番組で、聖火リレーチベット問題を取り上げていた。


 福留功男さんが「ダライ・ラマのほうが胡錦濤より器が大きいように思いますねー」というようなコメントを語っていて、「いやね、たぶん、問題はソイコトじゃなくてさ」と内心、蹴落とした。


 わたしはあまりテレビは見ないほうなんだが、たまにテレビをつけて福留さんが出ていると、ついしばらく見てしまうことがある。


 そうして、福留さんが何かについてコメントするのを見て、“うん。やっぱり、インチキくさい”と確認してから、チャンネルを変えるか、スイッチを切る。


 習い性というほどでもないが、何となくそういうことがある。まあ、早く言えば、意地が悪いんですがね。


 しかし、考えてみれば、インチキくさい人というのは、世の中にいくらもいる。


 インチキくさいのに、まがりなりにもテレビで自分の番組をずっと持てている、というのは、実は大したものではないか。


 インチキくさい、と、ただケナしているより、インチキくさいのにテレビ界で一定のポジションをキープできている、その理由を考えてみたほうが有意義かもしれない(何の意義なのかはよくわからぬ)。


 ところで、中国政府と中国人一般(そんなもの、あるのかどうか怪しいが)をゴッチャにする、あるいは中国という漠然とした概念と、中国の個々の人々をゴッチャにする愚は、いい加減、よしにしたらどうか。


 あまりに雑である。

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「今日の嘘八百」


嘘七百十八 仏教とは執着を捨てることに執着する宗教である。