蜘蛛の糸


 芥川龍之介といえば、言うまでもなく天才である。


 どこが天才かというと、今日のインターネットにおける状況を、大正時代にすでに予言していたことでもわかる。


 ご承知の通り、ブログや掲示板等々で匿名あるいは偽名になると、人間、あっという間に乱暴なことや残酷なことを言い出し、揶揄、誹謗中傷を平気で始める。


 それらの人とて、日常生活で顔をつきあわせているときは、たいがい普通の人なのだろうと思う。もしかしたら、「いい人」とすら思われているかもしれない。


 それが、インターネットで自分の所在・正体が曖昧になった途端、蹴落とし合い・引きずり下ろし合いを始める。人間の業のようなものなのであろうか。
 俗に言う“炎上”という状態になったブログやなんかを目にするたびに、わたしは性悪説(しょうわるせつ、と読みたい)を取りたくなる。


 芥川龍之介の有名な「蜘蛛の糸」を、今日のインターネット状況に照らして、適当に端折りながら、書き換えてみたいと思う。


 なお、原本は青空文庫より。


青空文庫 - 芥川龍之介 蜘蛛の糸


 また、主人公の名前は原本では漢字表記だが、JISの第三水準の字が混じるので、「カンダタ」とカタカナ表記する。


蜘蛛の糸


原作:芥川龍之介 改変:稲本喜則


 ある日の事でございます。御釈迦様は極楽の池のふちに御佇(おたたず)みになって、水の面(おもて)を蔽(おお)っている蓮の葉の間から、ふと下の容子(ようす)を御覧になりました。
 するとインターネットに、カンダタと云う男が一人、ほかのウェブ住人と一しょに蠢(うごめ)いている姿が、御眼に止まりました。このカンダタと云う男は、人を中傷したりブログに火をつけたり、いろいろ悪事を働いた男でございますが、それでもたった一つ、善い事を致した覚えがございます。と申しますのは、ある時この男がインターネットの深い林の中を通りますと、小さな蜘蛛(くも)が一匹、ブログを書いているのが見えました。そこでカンダタは早速、踏み殺そうと致しましたが、「いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗(むやみ)にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。」と、こう急に思い返して、とうとうその蜘蛛を殺さずに助けてやったからでございます。
 御釈迦様はインターネットの容子を御覧になりながら、このカンダタには蜘蛛を助けた事があるのを御思い出しになりました。そうしてそれだけの善い事をした報(むくい)には、出来るなら、この男をインターネット地獄から救い出してやろうと御考えになりました。幸い、側を見ますと、翡翠(ひすい)のような色をした蓮の葉の上に、極楽の蜘蛛が一匹、美しい銀色の糸をかけて居ります。御釈迦様はその蜘蛛の糸をそっと御手に御取りになって、玉のような白蓮(しらはす)の間から、遥か下にあるインターネットへ、まっすぐにそれを御下(おろ)しなさいました。


        二


 こちらはインターネットの底の巨大掲示板で、ほかのウェブ住人と一しょに、浮いたり沈んだりしていたカンダタでございます。
 たまに聞えるものと云っては、ただウェブ住人がつく微(かすか)な嘆息(たんそく)ばかりでございます。これはここへ落ちて来るほどの人間は、もうさまざまな書き込みに疲れはてて、泣声を出す力さえなくなっているのでございましょう。ですからさすがのカンダタも、やはり誹謗中傷の繰り返しに咽(むせ)びながら、まるで死にかかった蛙(かわず)のように、ただもがいてばかり居りました。
 ところがある時の事でございます。何気(なにげ)なくカンダタが頭を挙げて、空を眺めますと、そのひっそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛(くも)の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるように、一すじ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて参るのではございませんか。カンダタはこれを見ると、思わず手を拍(う)って喜びました。この糸に縋(すが)りついて、どこまでものぼって行けば、きっとインターネット地獄からぬけ出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、極楽へはいる事さえも出来ましょう。
 こう思いましたからカンダタ(かんだた)は、早速その蜘蛛の糸を両手でしっかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。
 しかしインターネット地獄と極楽との間は、何万里となくございますから、いくら焦(あせ)って見た所で、容易に上へは出られません。ややしばらくのぼる中(うち)に、とうとうカンダタもくたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなってしまいました。そこで仕方がございませんから、まず一休み休むつもりで、糸の中途にぶら下りながら、遥かに目の下を見下しました。
 すると、蜘蛛の糸の下の方には、数限(かずかぎり)もない“名無しさん”たちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻(あり)の行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。カンダタはこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、しばらくはただ、莫迦(ばか)のように大きな口を開(あ)いたまま、眼ばかり動かして居りました。
“名無しさん”たちは何百となく何千となく、まっ暗なインターネットの書き込みの底から、うようよと這(は)い上って、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。
 そこでカンダタは大きな声を出して、「こら、厨房ども。この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。お前たちは一体誰に尋(き)いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚(わめ)きました。
 その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急にカンダタのぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断(き)れました。ですからカンダタもたまりません。あっと云う間(ま)もなく風を切って、独楽(こま)のようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。
 後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。


        三


 御釈迦様(おしゃかさま)は極楽の蓮池(はすいけ)のふちに立って、この一部始終(しじゅう)をじっと見ていらっしゃいましたが、やがてカンダタがインターネットの底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。
 極楽の蓮池の蓮の玉のような白い花は、御釈迦様の御足(おみあし)のまわりに、ゆらゆら萼(うてな)を動かして、そのまん中にある金色の蕊(ずい)からは、何とも云えない好(よ)い匂が、絶間(たえま)なくあたりへ溢(あふ)れて居ります。極楽ももう午(ひる)に近くなったのでございましょう。


“Web”に「蜘蛛の巣」という意味があるのも暗示的だ。


 まあ、芥川龍之介が今日のインターネット状況を予言したというよりも、人間の本性は昔も今もさして変わりない、というのが実際に近いのだろう。


 性善説性悪説、というより、状況によって人は変わる、あるいは別の部分が出てくるのだ、とも思う。

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「今日の嘘八百」


嘘五百九十八 ちなみに、御釈迦様の下ろされた蜘蛛の糸は光ファイバーでできていた。