快川紹喜といえば、「心頭を滅却すれば火もまた涼し」の言葉で有名である。
戦国時代の禅僧で、武田信玄に迎えられて、甲斐の恵林寺の住持となった。1582年、織田信忠の焼き討ちに遭い、寺とともに焼死した。その際に残した言葉が「心頭を滅却すれば〜」だという。
この言葉、まだ完全に火に巻かれる前に発した言葉なのだろうか。それとも火に包まれた状態で発した言葉なのだろうか。
どっちでもいいじゃないか、と思うかもしれないが、これがそうではない。人間の最後の言葉として、状況や意味が違ってくると思うのだ。
すでに火に包まれた状態で、焼かれんばかりの熱さのなかで発した言葉だとする。
なるほど、そんななかで「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と言ったとすれば、大したものである。また、これほど大仰な痩せ我慢の言葉もちょっとない。
しかし、言葉が残っているということは、誰か言葉を伝えた者がいたはずだ。
ありていに言うと、弟子の中に、あまりの熱さに逃げ出したやつがいたのだろう。
逃げた弟子としてはきまりが悪いだろうから、近しい寺かどこかへ行って、「師は、自分の最期を伝えるように、と使者として私を選ばれました」やなんか、適当な言い訳をしたかもしれない。
ま、しかし、人間、やはり、熱ければ逃げるのだ。そっちが普通なのだ。
一方、完全に火に包まれる前に言った言葉だとする。
その場合、快川が自分の最期と言葉を伝えるべく、使者を立てることは十分、ありえる。
そうすると、「心頭を滅却すれば〜」には少々、ハッタリや自己顕示欲のにおいがしてくる。
おそらく、快川とて、火に炙られて焼けるまでの体験はしたことがなかったろう。
本当に火が迫ってきたとき、どうなったのだろう。
「……涼しいの」
「……涼しいですな」
「……うーむ、涼しい」
「……涼しいと、唸りますな」
「……涼しいのに、何か言うな」
やなんか、古今亭志ん生の「強情灸」で熱い風呂を我慢する江戸っ子みたいに、師と弟子で痩せ我慢しながら焼け死んだりして。
修行とは 坊主自慢の 痩せ我慢 竹蜻
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「今日の嘘八百」
嘘五百九十七 消防学校で最初に習う心がけが「心頭を滅却すれば〜」だそうである。