この日記では、理屈を、しばしば「リクツ」と書いている。
わたしが理屈というものに今ひとつ信用を置いてないからだ。
昔はそうではなかった。
何しろ、この世に生まれ出るとき、ポアンカレ予想を証明する数式を口ずさみながら出てきたというくらいで、驚いた看護婦さんがあわてて書き留めたそうである。
もっとも、あんまりいい心持ちで口ずさんでいたものだから、そのまま台から落っこちて、頭を強打した。以来、数学がわからなくなった。看護婦さんは、その後、お嫁に行ったと聞く。
いや、理屈が便利な道具だということは確かだ。遊び道具としてもよくできている。
しかし、信じすぎると、しばしば足をすくわれてしまう。
あまり純粋に理屈に走ると、何せ、純粋を尊ぶものだから、雑音を捨て置いてしまう。
ところが、雑音のように感じられるものというのは、案外、馬鹿にならなくて、捨てちゃいけないものがその中にあったりする。
あるいは、そもそも前提条件からしてダメダメだったり、手落ちがあったりして、そういうものから展開した理屈は、当然、ダメダメだったり、手落ちが大増殖したりするのである。
――という理屈を今、こねてみたのだが、これもリクツであるから、ダメダメだったりして。