マルクスの人々

 わたしが大学に入ったのは1980年代の半ばだ。


 当時はまだソ連や東欧に社会主義政権が残っていた頃で、今ほど、マルクス主義は落ちぶれていなかった。
 授業でも、マルクス経済学を教える先生が結構いた。


 大学の先生になるくらいだから、理屈は得意だったろう。
 そんな人達が信奉していたのだから、まあ、マルクス主義なりマルクス経済学も、理屈としてはよくできていたのだと思う。


 いや、マルクス経済学自体は勉強もしなかったし、知らんのだ。
 しかし、マルクス主義由来の社会主義プロレタリアート独裁っつーんですか。あんなものがどうしてうまくいくと信じていたのかと思う。今からすると。


 バリバリ働いてもだらだら働いても、もらえるものはあんまり変わらない。何やら、監視の目のようなものも感じる。権力にひっついてうまい汁を吸っているやつがいるようだ。新聞は都合のいいことばかり書いている。どうも、“西側”のほうでは、派手にワイワイ、パツキンのネエチャンにウサギの格好させて楽しんでいるようだ。こっちは水道もなおらねえ。


 とまあ、そんなふうになれば、なかなか押さえつけられるものではない。


 あくまで聞いた話なのだが、稲垣足穂に「マルクス、あんなものあきまへん。人の心のことを書いてない」というような言葉があるのだそうだ(正しい言い回しを知っている方がいたら、教えてください)。
 なるほど、と、思う。


 もっとも、なるほど、と思うのは、あくまでソ連・東欧諸国のその後の成り行きを知っているからで、まあ、後出しジャンケンのようなものだ。わたしだって、もっと早く生まれていたら、マルクスの信奉者になっていたかもしれない。


 リクツがいけないというよりも、相当、リクツが得意な人でも、なかなかうまく使いこなせないということだと思う。
 特にリクツがうまくつながると快感だから、そんなときこそ、危うい。


 2、3割は、自分の考えていることにギワクのマナザシを向けておくと、わりかし安全だと思う。
 馬鹿は馬鹿なりに、経験的にそういうコツを学びました。


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「今日の嘘八百」


嘘二百九十三 晋の時代、孫康は家が貧しく、油を買う金がなかった。冬の夜は雪をあかりに勉強していた。春になると成績があっという間に下がったという。