人形医者

 人形浄瑠璃の、いわゆる文楽は、大阪が発祥の地で、昔は東京にもあったらしいが、大阪で続いて現在に至っている(東京にあったものは文楽と呼ばないのかもしれない)。わたしは詳しくないが、見ると、面白いなあ、と思う。


 あまりいいムービーがないのだが、こういうやつですね。



 頭と胴、右手を担当する主遣い(おもづかい)の他に、左担当、足担当の三人で、人形を扱う。


 阿波の徳島もまた、人形浄瑠璃が盛んだという。


 大阪と徳島の中間地点、淡路島の医者が、終戦後、人形浄瑠璃を救ったという話が、桂米朝の対談集「一芸一談」にある。人形遣いの吉田玉五郎との対談より。


米朝 空襲で焼けた時なんか、それ(稲本註:人形の衣装)がそろわんさかい、難儀しましたやろうなあ。
玉五郎 そうでっせ。松谷先生いうてね、淡路島に耳鼻科のお医者さんがありまんのや。この人が、えらいことには自分で人形を使いまんのや、素人で。看護婦さんに足遣わして、ほんで楽しんどる。
米朝 看護婦さんが左や足遣わんならん。
玉五郎 遣わんならん。ほんで、一生懸命やってますやろ。「先生、患者来てまっせ」言うたら、「ほっとけほっとけ」言うて。
米朝 「ほっとけ、ほっとけ」(笑)


 いいなあ。


 診療室で、空いた時間に、人形を操る医者と看護婦。どこかで映画にでもしないかしらん。


 この先生、自分でちゃんと人形を揃えて、持っていたらしい。


玉五郎 むちゃや。僕も教えに行きましたけどな、うまいのやそれが、人形遣うのが。
米朝 そこのお家に人形がたくさんあったわけですな。
玉五郎 そこのお家にはたくさんあった、人形が。頭(かしら)でも文楽と同じことでね、(四世)大江已之助が彫ってたわけです。それを今使用しとるのもあるしね。
米朝 空襲で焼けた時は、それを借りてきたわけですか。
玉五郎 それを借りてきたわけです。それで意気が上がったんですわ。


 ――その時、歴史が動いた。
 この先生がいなかったら、文楽はどうなっていたのだろうか。


 しかしまあ、この先生、耳鼻科でよかった。
 整形外科だと、検査と称した悪いシーンを想像してしまい、よろしくない。「こらァ、左、もっと気張らんかい! ココ、ええシーンなんや」、とか。あわわわ。


一芸一談 (ちくま文庫)

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「今日の嘘八百」



嘘七百七十七 アア、皆さん、いつのまにやら今日のその時が過ぎ去ってしまいました……。