おれと落語

 iPodに落語を入れて、通勤の行き帰りによく聴いている。

 あらためて考えると、おれは随分と落語に影響を受けた。おおげさに言えば、落語と出会わなかったら、違う物の見方、感じ方をして生きてきたかもしれない。

 子供の頃からテレビの演芸ものは割と好きだったが、本格的に落語と出会ったのは二十代後半である。立ち寄った本屋に古今亭志ん生のカセットテープがあり、ふと興味を持って買ったのが最初だ。確か、「火焔太鼓」「強情灸」「饅頭こわい」だったと思う。聴いて、衝撃を受け、その後、「妾馬」や「唐茄子屋政談」のテープも買った。これらのテープは二十代の頃、何度も聴いた。

 初めて聞いたのが志ん生でよかったと思う。桂文楽三遊亭圓生では、当時のおれには古典的すぎて、はまるところまでいかなかったろうと思う。

 当時はそれ以上に聴き進むことはなかったが、三十代になって、志ん生のCDのボックスセットを買い、文楽圓生古今亭志ん朝なんかを聴くようになった。もちろん、どれもCDである。

 立川談志は最初、あまりよくわからなかった。小学校か中学校のときにテレビで見て、「この人は本物だ」と思った記憶があるが(生意気なガキである)、三十代で聴いた談志は妙に硬くて、落語らしくなく感じた。しかし、「現代落語論」やその他の本を読むようになり、談志のやりたいことがなんとなくわかるようになってきた。おれが今、一番たくさんCDを持っているのは談志である。

 生の落語も三十代の頃から聴く、というか、観に行くようになった。生は生でよかったが、志ん生圓生志ん朝、談志なんかに比べると(聴いているうちにどうやら比較の元型ができてしまうらしい)、現代の若手〜中堅は心の底からいいなあ、と思えるわけではなく、ここ何年かは足を運んでいない。

 上方落語のほうでは、桂米朝を聴いた。最初はなじめないところがあった。そのうち、何かの拍子に桂吉朝米朝の弟子)のCDを聴き、はまった。そこから米朝を聞き直し出した。上方落語には独特の雰囲気や口調があり、スマートな吉朝を聴くことで、だんだんと馴れることができたのかもしれない。

 落語のどういうところがおれの物の見方や感じ方に影響を与えているかというと、「人間はダメなものである」(談志の言葉)ということである。「人間はダメでよい」ではない。「人間はそもそもダメなものである」だ。談志はいささかハッタリを効かせて「落語は人間の業の肯定である」とも言ったが、これもまあ、同じようなことだ。

「人間はダメなもの」だから、向上しようとすることもあるし、向上しようとしてやっぱりダメなほうに戻ったりもする。あるいは最初から最後までダメなまんまだったりする。そこのところが面白い。動物の中で努力しようとするのはおそらく人間だけである。

 あとはナンセンスや見立ての面白さか。おかげで随分と物の捉え方が豊かになったと思う。ここのところで志ん生にかなうものはなく、最初に本屋で志ん生に出会ったのはとても幸運だった。