日本人の英語の読解力は、平均値を取ると、かなり心もとないだろう。
しかし、心もとない割に、英語やフランス語の単語や文章が氾濫している。広告、商品パッケージ、看板などに、しばしば、さして必要がないのに使われる。
今、「心もとない割に」と書いたけれども、「心もとないからこそ」多用するのかもしれない。
英文や仏文の意味がネイティブのようにすらすらと頭に入ってきたら、馬鹿馬鹿しくなったり、意味不明に思えたりして、気恥ずかしくなるんじゃなかろうか。
例えば、今、手近にあった新聞のチラシを手に取ってみる。マンションの売り込みだ。
物件を地域ごとに紹介していて、各コーナーの頭には、デカデカと地域名が記されている。
KAMIOOKA
上大岡
HIYOSHI
日吉
などと、いちいち欧文表記が付いているのだ。
日本語がわからない人の便宜に、というわけではない。なぜなら、肝腎のマンションについての情報は日本語でしか書かれていないからだ。
要するに、欧文は「飾り」なんですね。あるいは、「洒落てます」ということを示すための記号。
缶コーヒーの缶を見ると、小さい文字でこんな英語が書いてある。
Coffee with the fine taste and aroma of beans
brewed within 24 hours of grinding.
日記のネタとして書くバカ(わたしのことだ)を除いて、この文を読む人はまずいないだろう。
何か意味のあることを伝えようとして、書いた文ではない。
おそらく、この缶のデザイナーの仕業だろう。何となく外国語があるとお洒落っぽく見える。どうせ入れるなら一応はこの缶コーヒーに関することを、と、せいぜいそんな流れだったのだろう(別に合衆国独立宣言の一部か何かだって、気づかれないんだろうけど)。
外国語を入れるなら、中国語やハングルやヘブライ文字やアラビア文字(コーヒーとアラビアは縁が深い)だっていいではないか、と思うのだが、そうはしないのだ。
なぜなら、欧文はカッチョいいけど、言っちゃ悪いが、中国語やハングルやヘブライ文字やアラビア文字は、日本では一般にお洒落っぽくないと思われているからだ。
アナタねえ、例えば、これから日本の繁華街を、信者でもないのに浮かれて席巻するであろう「Merry Christmas」を、全てヘブライ文字()で表記したら(イエスの生地を考えれば、ヘブライ文字で記すことには多少の意味がある)、日本の街がどう見えるか、想像してご覧なさい。随分、面妖なことになるよ。
明治以来の欧米信仰が、今に至るも、がしっと深く根を下ろしていることに、つくづく感心するのである。
なお、欧米信仰と言っても、「飾り」として使うのは、もっぱら英語かフランス語、せいぜい、イタリア語、スペイン語、ドイツ語(微妙)までであり、ポーランド語やロシア語がお洒落っぽく使われることはほとんどない。
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「今日の嘘八百」
嘘二百八十六 日本では物は粗末に扱ってはいけないが、外国語は粗末に扱っていいことになっている。