いきなり外国語

 森鴎外をよむと、しばしば文章のなかにいきなり外国語、それもかなりむずかしい言葉がまじって、にぎり飯のなかに石ころがはいっていたようなこころもちになることがある。たとえば、「津下四郎左衛門」から。

当時の父は当時の悪人を殺したのだ。その父がなぜ刑死しなくてはならなかったか。その父の妻子がなぜ日蔭ものにならなくてはならぬか。こう云う取留のない、tautologieに類し、またcirculus vitiosusに類した思想の連鎖が、蜘蛛の糸のように私の精神に絡み付いて、私の読みさした巻を閉じさせ、書き掛けた筆を抛たせたのである。

 注釈によると、tautologieはドイツ語で同語反復、circulus vitiosusはラテン語で循環論証だそうである。同語反復のほうはともかく、循環論証のほうは説明をうけてもよくわからないところがわれながらなさけない。

 それはともかく、鴎外先生のこういう文章をよむと、「そのくらい自分で調べたまえ」というふうでもあり、「私の文章を読むならあらかじめこのくらいの言葉は知っておきなさい」というふうでもある。

 もっともそうかんじるのは、日本語に欧文をそのままいれる文章を目にすることが今日では比較的すくなく、特に小説ではほとんどないからかもしれない。今日でも欧文をカタカナにおきかえたものなら、特にデジタルテクノロジー系やマーケティング系の文章でよくお目にかかる。先日、とあるブログで、

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 という文章をよんで、クラクラきた。

(内容を揶揄したいわけではありません)

→ TABLOG - 点と点がつながって線になるということ〜ライブドア退職のお知らせ

 かんがえてみれば、奈良時代の頃か、もともと和語をつかっていた日本で文中に漢語をおりこんだのもおなじ伝だったのだろう。当時の漢語は外国語であったろうし、当初は違和感もあったのではないか。いうなれば英語の文章に、

It's no 利益 crying over spilt 牛乳.

 と漢語をおりこむようなものである。

 日本語が漢語をとりこむというのは、実は随分と過激なことだったんだろうとおもう。今でいえば、学術論文に欧文がまじるのは普通だが、それが一般の文章にもひろがっていったというようなことだったのかもしれない。