実は◯◯であった

 文楽や歌舞伎の狂言には、登場人物が実は歴史上有名な誰それであった、という趣向がとても多い。

 たとえば、義経千本桜の渡海屋・大物浦の段のあらすじから一部抜書きするとこうだ。

 

・・・義経一行の出発が迫る時刻、おりうが銀平を呼びます。すると「桓武天皇九代の後胤。平知盛幽霊なり」と名乗り、白糸縅(しらいとおどし)の鎧に身を固めた銀平が姿を現しました。

渡海屋銀平は、実は平知盛でした。知盛は船問屋の主人に姿を変え、安徳天皇を娘のお安、お乳の人・典侍局を女房おりうとして、義経を討つ機会を狙っていたのです。

 

 歌舞伎には曽我ものというジャンルというか、趣向というか、形式のものがあって、助六もそのひとつだ。助六所縁江戸櫻のあらすじを抜書きすると:

 

・・・そこへ現れた助六は、意休に悪態をつき、意休の子分くわんぺら門兵衛たちともひと悶着起こします。騒ぎが収まったところで、白酒売の新兵衛に呼び止められた助六はびっくり、兄の曽我十郎祐成でした。実は助六は曽我五郎時致で、紛失した源氏の重宝、友切丸詮索のため、喧嘩を吹っかけては刀を抜かせていたのでした。

 

 曽我兄弟は今の映画やテレビドラマなどに登場することは少ないが、源頼朝が富士山麓で巻狩を行った際に仇討ちをしたということで有名な兄弟だ。江戸時代にはメジャーな人物であったらしい。現代では馴染みが薄いから、助六の「実は」というところのニュアンスがわかりにくくなっているかもしれない。

 こうした「実は誰それであった」という趣向が江戸時代にどうして流行ったのか、よくわからない。英雄を(当時の)現代にぐっと引き寄せるというコンセプトだったのだろうか。

 これを現代でやるとどうなるのだろう。

 たとえば、村上春樹の「騎士団長殺し」でやってみる。

 

妻との離婚話から自宅を離れ、友人の父親である日本画家のアトリエに借り暮らしすることになった肖像画家の「私」(実は西郷隆盛)は、アトリエの屋根裏で『騎士団長殺し』というタイトルの日本画を発見する。アトリエ裏の雑木林に小さな祠と石積みの塚があり、塚を掘ると地中から石組みの石室が現れ、中には仏具と思われる鈴が納められていた。日本画と石室・鈴を解放したことでイデア(実は田中角栄)が顕れ、さまざまな事象が連鎖する不思議な出来事へと巻き込まれてゆく。 

 

 世界があっという間に崩壊する。

 原田マハの「楽園のカンヴァス」で。

 

ソルボンヌ大学院で博士号を26歳で取得している早川織絵(実は阿部定)は、国際美術史学会で注目を浴びている、アンリ・ルソー研究者である。ティム・W・ブラウン(実はマイク・タイソン)は、ニューヨーク近代美術館 (MoMA) のアシスタント・キュレーターである。コレクターのコンラート・バイラ―(実は紀伊国屋文左衛門)は、スイスのバーゼルにある、自らが住む大邸宅に織絵とティムを招き、彼が所蔵する、ルソーが最晩年に描いた作品『夢』に酷似した作品『夢をみた』について、1週間以内に真作か贋作かを正しく判断した者に、その作品の取り扱い権利を譲ると宣言する。 

 

 メチャクチャである。メチャクチャであるが、妙に楽しい。「実は誰それ」って、今でももっと活用できるんではないか。