1995年の南ア・ラグビー・ワールドカップ決勝

 クリント・イーストウッド監督が映画化した「インビクタス」の原作をよんだ。映画のほうはまだみていない。

 南アフリカアパルトヘイト政策を転換して国民の大多数にあたる黒人もふくめた民主的選挙を実施し、自国開催のラグビー・ワールドカップによって国民的統一感をえるまでの過程をしるしている。

インビクタス 負けざる者たち

インビクタス 負けざる者たち

インビクタス」によれば、ワールドカップ開催までラグビーは白人層のスポーツであり、代表チーム「スプリングボクス」はアパルトヘイトの象徴的な存在だった。黒人層はラグビーに無関心か、しばしばスプリングボクスの相手チーム(すなわち、他国の代表チーム)を応援する状態だったという。しかし、国民の醸成をねらうネルソン・マンデラの主導もあり、スプリングボクスのワールドカップ決勝戦勝利によって、南ア国内は国民的高揚感と一体感につつまれる。

 著者のジョン・カーリン自身もしるしているように、おとぎばなし、できすぎたおはなしのようにもおもえる。しかし、白人層の政治的優位が急落した1990年代前半の南アフリカが報復合戦や旧ユーゴスラビアなみの内戦の危機にあったのはたしかなようであり、そうした危機を回避するにあたっては、実際、マンデラの政治能力と人格がおおきく作用したのだろう。

 YouTubeで、1995年のラグビー・ワールドカップ決勝の映像を探してみた。

 スタジアムは大変な高揚感につつまれている。

 冒頭、ニュージーランド代表の「オールブラックス」がハカをおどっている。オールブラックスが国際試合の前に必ずおこなう儀式で(昔、CMでもつかってましたね)、もともとはマオリ族の戦士が戦いのまえにおこなう舞踊だったそうだ。

 ご覧のとおり、ハカは威嚇的で、しかも大変にカッコよい。ワールドカップ決勝ということもあり、オールブラックスの選手達は気合入りまくっている。しかし、実はもっとカッコよい人がいる。映像の30秒あたりでオールブラックスの前に立ちはだかっている南アのデブちゃんである。

 この大会では、オールブラックスのジョナ・ロムが旋風をおこしていた。身長196cm、体重115kgながら100mを10秒5で走るまさに「怪物」で、この大会でも各国の代表を文字通りふっ飛ばし、7トライをあげていた(最終的にトライ王に輝く)。

 決勝でロムとマッチアップする南ア側の選手は、ジェイムズ・スモール。スプリングボクスの公式サイトによれば、身長189cm、体重89kgで、ロムの体格には全然かなわない。決勝のゆくえは、スモールがどれだけロムをおさえられるかにかかっていた。

 ラグビーというのは、代表クラスともなれば100kg級の巨漢がお互いを全力でつぶしにかかるという実にもって大変な競技であって、恐怖と勇気という点で戦争の野戦に最もちかいスポーツではないかと思う。ハカを踊りながら、ジョナ・ロムはジェイムズ・スモールに近づいていって威嚇にかかる(映像を見るとよくわかる)。以下、「インビクタス」より。

彼ら(稲本註:オールブラックス)のパフォーマンスは、思考をにぶらせるほどの脅威を与える。しかし、今回その儀式に、わずかだが重要な変化が見られた。ハカが後半にさしかかったころ(一分二十秒が経過していた)、ジョナ・ロムが慣例を破る動きをした。視線を定め、ジェイムズ・スモールをねらうかのように、ゆっくり前進をはじめたのだ。スタジアムの観衆やテレビの視聴者でその直後に起きたことを目にした人はわずかだったが、グラウンドの選手はみな気がついた。スモールの隣にいたコブス・ヴィースも慣例を破った。斜めに二、三歩踏み出すと、スモールをかばうようにロムの前方に立ちはだかる。「列を抜けたコブスは、ロムに『おれを突破してからだ』と宣言しているように見えた」とピナールは言う。

 くーっ、シビれるぜ。映像で前進していくロム(色の黒い人物)ともうひとりの選手の前に立ちはだかって一歩もひかないデブちゃんが、すなわちコブス・ヴィースである。

 映像にもあるように、ロムは南アに止められ、両チームともトライは0。延長戦の末、15-12で南アが勝った。試合後のインタビューで「スタジアムで六万二千のファンに応援される気分はどうですか?」と訊ねられたキャプテンのフランソワ・ピナールは、「応援してくれたのは四千三百万人の南アフリカ人です」と答えている。できすぎのようなこういう試合をこそ、伝説とよぶのだと思う。