わたしと作文〜その7

 わかりやすい文章を書けるようになるには、次の3つが大切だと思う。


・量を書く。
・書いたものを、自分が読むのではなく、他人が読んでいる気持ちになって、読み返す。
・わかりにくそうなところがあったら、直す。それもしつこく。


 特に二番目がコツだと思う。


 わかりやすい文章は、映画の字幕を理解できる程度の言語能力があれば、誰でも書けるようになる。


 それ以外のこと、例えば、勢いのある文章とか、味わいのある文章とか、笑かす文章とか、読む者に感涙むせばせて「お嬢さん、ハンカチお貸ししましょうか」となるような文章を書くには、いろいろなことが絡むので、まあ、いろいろでして、エエ、実にいろいろでございます、ハイ。


 しかし、文意が通じる、というのはすこぶる機能的なハナシだ。上に書いた3つのことをやっていれば、まず誰でもできるようになる。


 ――3日にも渡って書きながら、どうも盛り上がりにも、まとまりにも欠けて終わりそうだ。出たとこ勝負で書いていると、こういうことになりがちである。


 何が言いたかったかというと、エー、「おれは偉い」ということである。嘘である。


 その後のわたしについて簡単に記しておく。


 二十代の終わりか、三十の頃に編集部を辞め、フリーとなって、しばらくマタギとして暮らしているうちに、癌になり、治療費として金を借りたら返せなくなったので、遠洋マグロ船に飯炊き係として乗り、嵐に遭い、流れ着いた南の島で二十年暮らした後、キャプテン・クックに発見されて、タヒチゴーギャンにオカマを掘られそうになり、慌てて逃げ出し、ジョン万次郎と名乗ってアメリカで初等教育を受けた後に帰国したら士分に取り立てられ、品川御殿山の英国公吏館の火付けを図ったが失敗し、生麦で英国人を無礼討ちにしてから、池田屋での密会を新撰組にチクり、うひうひうひと笑いながら褒美にもらった五両の金を餅にくるんで飲み込んで、焼き場で焼いて骨を拾う振りして手に入れたこの金で目黒に餅屋を出しまして、たいそう繁盛をいたしました。江戸の名物、黄金餅の由来という一席でございました。

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「今日の嘘八百」


嘘二百九十九 ある試算によると、三年後には純文学を書く人の数が、読む人の数を上回る計算だという。


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