真紀子節

 この頃、道路特定財源に関連して、テレビに、日本列島改造計画を唱えていた頃の田中角栄の映像がよく映る。


 演説するシーンには、もう何十年も前の映像なのに、つい見入ってしまう。
 この人はカリスマだったんだなあ、とつくづく思う。


 田中角栄は、好き嫌いどちらに振れるにせよ、見る人が反応せざるを得ない何かを持っていたようだ。
 土建屋の親分の凄みと魅力というか。江戸時代に生まれていたら、博徒の大親分にでもなっていたのではないか。


 田中真紀子の声、話し方が、父・角栄のそれを見事に受け継いでいることにも感心する。


 声については遺伝もあるのだろうが、では、いったい、いつから田中真紀子はああいう声になったのだろうか。


 小さい頃から、あんなふうだったのか。
 ああいう声で話す小学生の女の子、というのも、凄まじいものがある。


「大体ね、アナタ。給食の牛乳の味にケチをつける男なんて、将来、ロクな人間にならないわよ」


 てなことを学級会で言っていたのか。
 学級委員選びのときの発言なんて、聞いてみたかったね。


 男子ほど激しく変わるわけではないが、女子にも変声期はある。あるいは、その頃に「角栄声」になったのだろうか。


 花も恥じらう乙女の頃に、ああいう声というのも――いやまあ、大きなお世話ではあるが。
 しかし、箸が転がってもおかしいというので、「ガッハッハ」なんてねえ、確かに花だって恥じらうだろう。別の意味で。


 彼女の魅力は、あの見事なオバハンぶり、オバハンの中のオバハン、ザ・キング・オブ・オバハン(あ、クィーンか)とでも言うべきところだ。我々が「オバハンとはこういうものだ」というポイントを見事についてくるが、いつ頃、あんなふうになったのだろう。


 いやまあ、少しずつ変わっていくものだとは思うが、だとしたら、娘らしい時期もあれば、プレ・オバハン期もあり、見事にオバハンとして開花した瞬間もあったのか。


 ンーム。人生の流れというものに思いを馳せて、ふと遠い目をしてしまうのである。


 諸行無常、人生無情、野口は雨情、今日は以上。

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「今日の嘘八百」


嘘三百一 力加減を間違えたコロンブスは、白身と黄身でベトベトになった手に、呆然としたという。


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