本は好きだったが書くほうに興味がなかった、というのは、音楽は聞くけれども演奏はやらない、というのと同じかもしれない。
読むと書くは、別の話だ。
初めて自分の意志で文章を書いたのは、社会人になってからである。
ワープロを買って――ええと、若い人のために書いておくと、ワープロ・ソフトではなく、そういう機械があったのだ。思えば、短命な製品だった――あれこれ字を打ってみた。
内容はほとんど反故のような、どうでもよいことだったろう。今と変わらない。
書くことに目的があったわけではなく、ワープロを買ったので書いた、とまあ、本末転倒の話だ。「ついでに書く」というのは表現方面から見ると、あまり褒められたことではない。
が、しかし、人間というのは、案外、そんなものではないか。
デジカメを買ったから写真を撮ってみる。携帯を買い換えたからテレビを見てみる。ブログというものが流行っているようだから書いてみる。
などというスルドい文明批評を、何となく成り行きでしてしまいつつ、この話、もうちょっとだけ続けます。
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「今日の嘘八百」
嘘二百九十八 「品格」が流行語大賞に輝いたのは、一年後には誰もが忘れてしまいそうな話だからである。