2011-01-01から1年間の記事一覧

天然成分

商品に天然成分とか、天然素材使用などと書いてあるケースがよくある。しかし、考えてみれば、天然だから何なのかというとよくわからない。 商品に謳われる「天然」という言葉は、一瞬よいもののように見えて、実は意味としては「化学合成ではない」というこ…

芸能の芸術扱い

ここ十年くらいよく落語を聞いている。一時はよく落語の会にも出かけていたのだが、最近はもっぱら携帯プレーヤーで聞くばかりである。 落語の会に行かなくなった理由はいくつかあるのだが、ひとつは上品な感じの会が多くて、何となく居心地が悪いということ…

不器用話

何度も書いた覚えがあるのだが、不器用で困ることが多い。 物をつかむということが苦手で、たとえば、今朝は大量にたまっていたペットボトルを処分しようと思い、手前の一本をつかもうとして倒してしまい、ボウリングのストライクの如く、全てが倒れてしまっ…

耳の穴の汗

人間の体というのはよくできているなあ、と常々感心している。もちろん、心臓とか胃腸とか肝臓腎臓方面というのも複雑にして不可欠な機能を備えているのだが、もっとつまらないちょっとしたことなんかもよくできている。 たとえば、今の季節、外に出ると大汗…

志ん生師匠のたとえ

最近は会社との行き帰りに携帯音楽プレーヤーでもっぱら古今亭志ん生を聞いている。おれにとっては落語を聞くようになったきっかけの人であるし、どこか「帰ってきた」という感じがある。 志ん生師匠の凄いところは数々あるけれども、そのひとつにたとえの上…

文字通りに捉えてみると妙な言葉というのがいろいろあって、たとえば、「肌」というのがそうだ。「天才肌」ってどんな肌なんだろーなー、などと考えてみるのは無益でバカバカしくてよい。 ふざけたチンピラが組の杯を受け、組長のタバコの火をつけるついでに…

よとかねとか

終助詞というのだろうか、日本語の会話では「よ」とか「ね」とかが文末にやたらと付く。逆に終助詞がつかないとどうも感じが出ない。時々、ドラマやなんかでこなれていない口調の会話に出くわすことがあるが、シナリオライターが地の文のような調子で会話を…

スットコドッコイ

Twitterにも書いたのだが、おれは江戸弁の罵倒語の中で「スットコドッコイ」と「ヘチマ野郎」という表現が好きだ。「このスットコドッコイ!」というスットコでドッコイな音にはたまらないものがあるし、「このヘチマ野郎!」という理不尽な断定も素晴らしい…

ジャパネスクと中国絵画

日本の浮世絵が19世紀のヨーロッパの印象派に影響を与えたということを、鼻高々に語る人が時々いる。自分が描いたわけでもあるまいに、と意地の悪いおれは少々斜めから見てしまう。 確かに、西洋画の系統とは全然別の系統の絵を見て、「おお、絵はこんな描き…

携帯を操る姿

おれは携帯を、持ってはいるがほとんど使わない。電話も事務的な用以外にはほとんどしないし、メールも多くて二週間に一本くらい、誰かから来たら返信するくらいである。もちろん、持っているのはガラケーだ。 人間、自分がやらないことに対しては手厳しくな…

病気の貴賤

おれは生来胃腸が弱く、これは人生においてなかなかのハンデではないかと思っている。母親の胎内から出てきたときには「お腹痛いッス」と訴えようと泣き叫んでみたのだが、ただの元気な赤ちゃんと思われて終わってしまった。以来、おれは腹をさすりながら生…

レッテル貼り

おれはレッテルを作って貼るのが結構好きで、また自分でひそかに上手いんじゃないかと思っている。たとえば、少し前に「お祭りクリエイティブ」という言葉を発明した。よくある「デザインで地域振興を!」という類の話をそう呼ぶことにしたのだ。地場産業を…

自転車で困ること

先日書いたように、晴れた日には自転車で通勤することが多い。 車道と歩道のどちらを走るかというのはなかなか悩ましい問題で、おれの場合はすいていれば歩道を走るようにしている。法律上は原則として車道を走るべきと聞いたことがあるが(条文にあたったわ…

自転車で走る東京

晴れた日には会社まで自転車で行くことが多い。混んだ電車に乗るのと違って解放感があるし、帰りはよい切り替えになる。 自転車は、昨年、京都に住んでいるときに馴染んだ。自転車に乗ると、京都に比べて東京が非常に坂の多い町であることがわかる。おれが走…

デマと夢

震災以降、twitterがさまざまに活躍した。実利的な情報もあったし、やりとりすることによる不安の解消も、逆に不安の増幅もあった。 twitterは書き込める文字数が限られている一方で拡散力が高いため、以前からデマが流れたり、パニックを引き起こしたりする…

鼻くそのにおいの仮説

googleで「鼻くそのにおい」と検索すると、このブログの記事がトップに来る。ちょっと大げさに言えば、このブログは現在、「鼻くそのにおい」(という文字列)について世界で最も注目されているブログなのである。……と言っても過言ではない。……とまで言うの…

言葉にすると(ある程度)本当になる

言霊とはちょっと違うのだろうが、言葉にすると本当になるということはある。 たとえば、「今日はブログに書くことを思いつかないな」とふと思うと、本当に全然ネタが思いつかなくなったりする。何となく気に入らない人がいて、「おれはあいつが嫌いだ」と自…

原発エクスタシー

ああ、ど、どうも。福島原発です。ああん。いろいろとお恥ずかしいところをお目にかけちゃって、恥ずかしいです。あの、恥を承知で告白しますと、今、か、体の中が大変なことになっておりましてですね、自分でもよくわからないのですけど、なんか体の真ん中…

時間感覚コントロール薬

年をとると時間の経つのが早く感じられるというのは本当で、一週間がすぐに終わる。平日の期間がすぐに通り過ぎるから便利なようだが、土日もすぐに通り過ぎてまた月曜になり、情けない思いで会社に行かなければならないから、いいんだかどうだかよくわから…

談志の複雑さ

立川談志を嫌う人は少なくない。「あいつはどうも気に入らない」という感覚は素直なものだからそれはそれでいいと思うが、一方で、表面的な印象や、言動への反感だけで聞かないのももったいない気がする。あの人には人間の複雑微妙な心の動きがよく表れてい…

寝床本能

おれは落語の「寝床」が好きだ。義太夫を習っている大店の旦那が、嫌がる長屋の連中や奉公人達に破壊的に下手くそな義太夫を無理矢理聞かせるという話である。 落語家それぞれが工夫するギャグも楽しいのだが、あの話がウケる根本には、寝床の旦那の心理が何…

魔女が死んだよ、キンコンカン

映画「オズの魔法使い」を見た。戦前の作品だが、今でも十分に楽しめる。まさに古典と呼ぶにふさわしい。 映画の中に、人々を恐怖に陥れていた東の魔女が亡くなり、オズの国の人々が大喜びするシーンがある。「Ding dong, the witch is dead, the witch is d…

落語家の存在の大きさについて

このところ、携帯音楽プレーヤーで立川談志のひとり会をずっと聞いていた。談志の三十代から四十代くらいの録音が中心である。 談志の世代の落語家、すなわち戦後に落語界に入門した世代では、やはり、談志と志ん朝のふたりの存在が抜きん出ていると思う。 …

インスタント・ハイク・マシーン

観光地や名所のようなところに行くと、カメラや携帯で写真を撮っている人がよくいる。場所によってはそこにいる人がほぼ全員写真を撮っていたりする。あるいは、レストランで出てきた料理を撮る人もいる。 中には芸術的写真を撮ろうという人もいるかもしれな…

コピー文化の蔓延

広告コピーの言葉遣いには独特の癖のようなものがある。いかにもコピーと感じさせる言い回しのことだ。優れたコピーは案外とそういう癖に染まりきらないように注意して作られているが、二流、三流のコピーはじゃぶじゃぶと使う。 通販やチラシの商品の宣伝文…

神話について

ツイッターを見ていて、次の記事に行き当たった。結構ツイートされているようである。→ 世界で最も人気がある国、ニッポン いろいろと疑問の多い主張だと思う。以下、ランダムに。 日本の学校で記紀神話を教えていないというのは確かにそうだろうけど、わた…

光悦寺

土日に京都へ行ってきた。 花見のシーズンから少しずれて、桜は葉桜となりかけているものが多かったが、それでも京都の町のそこここで桜を見られるのはうれしい。地震によるムードのせいか観光客はあまり多くなく、特に外国人観光客が少なかった。 京都はど…

単純化

震災以来のいろいろな騒ぎについてTwitterを見ていると、随分と単純化した話が多いなあ、と感じる。Twitterは書き込める字数が限られているせいもあるが、それは理由の一部だろう。 おそらく、人は自分の頭の能力に合わせて話を単純化するのだと思う。それは…

ボケっぱなし

ボケとツッコミという言葉、あるいはコミュニケーションのやり方は、今では日常生活にすっかり定着したように思う。 おれは、誰かがボケたらツッコむべきである、とする考え方があまり好きではない。たとえば、自分からボケておいて、「ほら、今、ツッコむと…

ニュースのBGM

民放のニュース番組を見ると、被災地の人や状況を扱うニュース・ビデオに、しばしばBGMをつけている。ある計算されたムードや感情の動きを見る者の側に引き起こそうと計算しているもので、一種の情報操作に当たるだろう。簡単に言うと、BGMは「演出」である。…