このところ、携帯音楽プレーヤーで立川談志のひとり会をずっと聞いていた。談志の三十代から四十代くらいの録音が中心である。
談志の世代の落語家、すなわち戦後に落語界に入門した世代では、やはり、談志と志ん朝のふたりの存在が抜きん出ていると思う。
このふたりほどの存在の大きさを感じさせる落語家が今の現役にいるかというと(談志はまだ現役だけど)、残念ながらいないように感じる。談志より少し後の世代の小三治は素晴らしいけれども、後の世代に与える影響力やオーラといった点では、談志や志ん朝にかなわないだろう。
そういう存在感の大きさというのは何によるのだろうか。もちろん、談志、志ん朝個々の力が大きいのだろうけれども、それと合わせて、時代背景や、あるいは受け止める側の世代も関係するのだろうか。
時代背景と存在の大きさということでは、たとえば、ロックがいい例だろう。ビートルズの時代、1960年代から70年頃にかけては、巨星や伝説的存在のミュージシャンが多くいる。時代が経つにしたがって、ロック・ミュージシャンはだんだんと存在が小粒になっていく。もちろん、時々大物が登場するけれども、散発的で、ビートルズの頃のように群として出てくる感じではない。おそらく、ビートルズの頃には手つかずで残っているテーマがたくさんあり、それらを比較的少人数でやっつけていくので、ミュージシャンひとりあたりの仕事が巨大になったのだろう。ひとりあたりの区画が大きいから、やることの自由度が大きくなるということもあるかもしれない。
世代については、少し上の世代が偉大に見えるということはある。しかし、落語についてはどうなのだろう。たとえば、わたしと談志では三十歳くらい違うが、今、二十歳くらいの人にとって、五十歳くらいの落語家の中に談志、志ん朝と同じくらい偉大に見える人がいるのだろうか。
わたし自身は、談志、志ん朝について、もちろん、個人の力量があっての話だが、時代とうまく絡み合ったのだとも思う。談志、志ん朝はテレビ世代の最初の落語家である。彼らがテレビに出た直接の影響というよりも、テレビがもたらしたような、物事の普遍化、芸能の全国流通の動きに、彼らの落語も沿っていたのだと思う。東京の地域芸能だった落語を少なくとも日本国内でほぼ通用するような形に仕立てた、あるいは仕立てるべき時代にちょうどいた、というのが、彼らの存在を大きくしている理由のように思う。もちろん、それに先行するラジオの時代の、志ん生、金馬らの働きも忘れてはならないのだけれども。