単純化

 震災以来のいろいろな騒ぎについてTwitterを見ていると、随分と単純化した話が多いなあ、と感じる。Twitterは書き込める字数が限られているせいもあるが、それは理由の一部だろう。

 おそらく、人は自分の頭の能力に合わせて話を単純化するのだと思う。それはまあそうで、自分の力では理解できない複雑なものを複雑なまま理解することはできない。しかし、複雑なものをいくつかの単純なものに細分化して理解していこうとすることと、雑な単純化で事足れりとしてそこから雑な結論を引き出すことは違う。

 たとえば、原発事故について「東電が悪い」とする。それはまちがいではないが、実際には東電以外の要素も関係しているだろうし、東電の中でもさらにいろいろな因果関係に分解できるはずである。しかし、「東電が悪い」「だから」「○○すべきである」とするのは、雑な単純化から引き出した雑な結論だろう。それは、三角関数だけで幾何学を事足れり、他に幾何学として解くべき問題はないとするようなものである。

 単純化しないと理解できないとしても、「他の要素もあるのではないか」「単純化したものの中身をさらに見られるんではないか」と考えることは大切だと思う。雑な単純化陰謀論が結びつくと、とんでもないものができあがる。