だけ派の人々

 誰が書いていたのか忘れたが、おれの好きな話にこんなのがある。

 その人が「複雑系とは何なのだ。単純に言ってくれ」と知人に訊ねたら、「まあ、単純に言うと物事は複雑だ、ということだ」と答えたという。

 世の中のいろんな事柄というのはたいがい複雑なものだが、「だけ派」とでも言うべき人々がいて、物事を単純に割り切って、それでヨシとしてしまう。たとえば、「男なんてやりたいだけ」とか、「役人は利権がほしいだけ」などと言う。あるいは、「人間、所詮は金」とか、「結局、みんな自分が大事なだけ」などと所詮派、結局派と呼びたくなる人々もいる。

 昔、国際線に乗ったとき、隣の席に座ったフランス人が、どうしてそんな話になったのか、世界情勢について「目を開け。単純に見てみろ。全てはアメリカの陰謀だ」と言い張るので、辟易したことがある。

 思うに陰謀論を支持する人にはだけ派の人が多いんじゃないか。なぜなら、陰謀論は「〜の陰謀が実はあって、ああなった(だけ)」という構図が多いからだ。

 名の売れた学者の中にもだけ派の人はいて、たとえば、ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」なんかはだけ派の本じゃないかと思う。あれは、「結局、世界の歴史は銃・病原菌で動いてきた。勝者は銃・病原菌・鉄を味方につけた側だ」と言っている“だけ”の本ではなかろうか。

 嫌味な言い方で申し訳ないが、だけ派の人々は頭が単純なのか、あるいは考えるのが面倒くさいのではないか。自分にとって理解しにくいものを否定したり、ないことにして、理解しやすいものだけで結論してしまうのは愚かだと思う。その人の勝手ではあるけれども、はたから馬鹿に見えたり、時に品性が低く見えたりもする。

 おれもややこしいことが得意ではないが、「〜なだけ」と単純に割り切らないようにしている。割り切ってしまうと、そこで話が終わってしまうからだ。単純に割り切って結論を出してしまうのは、楽かもしれないが、つまらないし、もったいない。

 わからないことは「ここから先、おれにはわかっていない」と保留するようにおれはしている。そうすれば、何かの機会にその話題の新しいポイントや見方が出てきたとき、「ははあ。そういうこともあるのか」と理解や興味を増やせる(こともある)。馬鹿もほんのちょっとだけ賢くなれると思うのだが、どうか。