デマと夢

 震災以降、twitterがさまざまに活躍した。実利的な情報もあったし、やりとりすることによる不安の解消も、逆に不安の増幅もあった。

 twitterは書き込める文字数が限られている一方で拡散力が高いため、以前からデマが流れたり、パニックを引き起こしたりする危険性があるなーと思っていた。案の定、震災の後、多くのデマや、デマに近いものが流れた(パニックのほうはそれほどでもなかったかな)。しかし、一方で意外なところもあって、あまりにたくさんのデマが流れると、「これもデマではないか」と疑いの心、つまりは理性の働きも起きた。デマというのは数が少ないほうが効果的なんですね。

 でもって、例の通り単なる直感で書くのだけれども、デマと夢というのはもしかすると発生する仕組みに共通のところがあるのかもしれないと思う。両者に共通するのは「見たいものを見る(聞きたいものを聞く)」というところだ。デマなんか聞きたいもんか、と思うかもしれないが、聞きたいんだと思う。不快なものであっても、たとえば、悪夢が不快であるように、それは人が心の奥底で求めているもの、あるいは想像していることなんではないか。そして、心の中のせめぎあいから生まれてくるのが夢で、さまざまな人々の心のせめぎあいから生まれてくるのがデマではないか。と、まあ、そんなようなことを考えた。もちろん、検証する能力なんぞおれにはない。単なる思いつきである。

 twitter上のデマは、先に書いたように、あまりに多いもんだから、「twitterにはデマが流れるんだな―」と人々が学習し、またきちんと否定の根拠を述べる人も出てきて、ひとつのデマがどうにもならないほど蔓延するということは起きなかったようだ。これは意外な発見であった。一方で、陰謀論のほうは随分と広まった。人間は、つい自分の頭の能力に合わせて物事を単純化しがちで、しかも何しろ単純化すると考える手間がいらないもんだから、陰謀論は人気が出る。陰謀というのは証明も反証もなかなかできないから、陰謀論は駆除しにくい。まあ、twitterがあろうがなかろうが、今回のような事態では陰謀論がはびこるもんなんだろうけど。

 なお、おれの頭が悪いのは政府と東電の陰謀である。